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We Are KWANSEI

関西学院出身の父・雅彦さんと、関西学院初等部への入学から続く16年一貫教育の真っ只中にいる娘の裟都さん。関西学院と共に歩んできた山本さん親子が紡ぐ物語。

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関西学院の〝輝く自由〞と共に未来へ続く、親子の絆。

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山本 雅彦 Yamamoto Masahiko

保護者

関西学院大学社会学部卒業生。勉学や部活動に励む娘・裟都さんの学院生活を応援。

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山本 裟都 Yamamoto Sato

関西学院高等部
3年生

初等部から関西学院に通う。高等部ではアメリカンフットボール部のスタッフとして活躍。

前に進めたのは、“挑戦する気持ち”を大切にしてくれる両親の愛情があったから。

裟都さんが関西学院に入学した経緯を教えてください。

山本私自身が関学で充実した学びの日々を送ったことから、娘にもぜひここで学んでほしいという思いがありました。実は、私は一度関学受験を失敗しているのです。小学生の頃、深夜まで受験勉強をしている私を見ていた両親が、中学以降は受験に左右されず自分のペースで勉学に励めるよう、大学まで一貫で進める関学を薦めてくれたことから、関西学院中学部を受験することになりました。通っていた塾からは、100%合格のお墨付きをもらい、受験当日は関学を受験する児童を束ねる役に指名されました。しかし、慢心があったことから試験本番ではことごとく凡ミスを繰り広げ、案の定不合格に(笑)。受かっていないことは百も承知でしたが、合格発表の掲示板に自分の受験番号がないのを目の当たりにしたとき、深夜まで頑張った記憶が蘇り、大泣きしました。3年後に高等部を受験し、やっと関学の一員になりました。娘には、ぜひ16年一貫教育を受けさせたく初等部からの入学を薦めた次第です。そして裟都の初等部受験日。なんと受験番号が、私の苦い思い出である中学部受験の番号と同じだったのです。かなり嫌な予感がしましたが、誰にも言えず…。合格発表の日には、発表時刻前に初等部の正門に張り付き、開門後ダッシュで合格者掲示のボードへ。無事合格を確認し、30年越しのリベンジを果たしたような気持ちに。しかし中学部受験の失敗という挫折は、僕の人生にとって非常に重要なことでした。あのまま合格していたらどんな人間に成長してしまっていたことか…。天はあえて試練を与えたのだと思います。

初等部受験には壮大なドラマがあったのですね。裟都さんは入学後どのような経験を積まれましたか?

裟都初等部の頃は、フィギュアスケーターの浅田真央さんに憧れて始めたクラシックバレエに打ち込んでいました。中学部に進学し、宝塚音楽学校を目指すことを決めてからは、バレエだけでなく声楽やダンスなど、ほぼ毎日習い事に通う生活に。残念ながら、宝塚音楽学校に進学することはできなかったのですが、現在は関西学院高等部で充実した日々を送っています。これまで両親にはお稽古への送り迎えや付き添いをはじめ、様々な場面で支えてもらいました。バレエのコンクールに落ちた時、定期テストで悪い点数を取った時、そして受験に失敗した時など、私が壁にぶつかった際には「もう無理だと思うなら好きにすればいい。でも、まだ頑張りたいと思えるなら、裟都の力になるよ。」とあえて厳しく接してくれたおかげで、甘えたり妥協したりすることなく、前に進めたのだと思います。

高等部ではこれまでの人前に立つ華やかな活動から一変して、アメリカンフットボール部のスタッフを務められています。どういった経緯からでしょうか?

裟都小学生の時、父とアメリカンフットボールの試合を観戦した際に、花形ポジションの選手の活躍に惹かれる一方で、そのプレーを支える裏方的なポジションの選手がいることに気づきました。決して目立つわけではありませんが、縁の下の力持ちがいるからこそ、チームは強くなるのだと感じたのです。これはバレエでも同じです。演者が舞台に立てるのは、照明やメイク、衣装などのたくさんのスタッフがいるから。高等部で、これまでの経験が活かせるような部活動に入ることも考えましたが、いわゆる裏方の役割に徹することで何か新しい発見があるのではないかと考え、アメリカンフットボール部への入部を決意。実際に2年間活動して、自ら考えて行動する「自主性」を身につけることができたと感じます。スタッフは、プレーを撮影したりアイシング用の氷を作ったりといった基本的な仕事をこなすだけではなく、「こういうことをすればチームに役立つのではないか」と日々考えながら活動する必要があるからです。選手のように目立った成果をアピールする機会はありませんが、この経験から身についた力は、今後の人生において様々な場面で活かすことができると思います。

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山本アメリカンフットボール部の活動は、勉強と両立しながらとても熱心に頑張っています。家で私の手や足を使って、テーピングの練習をするほどです(笑)。親としては、華やかな舞台で活躍する姿を見られない寂しさはありますが、人を支え、チームで切磋琢磨し、いい経験をさせてもらえていると感じます。

自由が尊重される素晴らしい環境で、人としての成長を重ねていきたい。

おふたりが感じる、関西学院の魅力はどんなところですか?

裟都きちんとしたルールの中に、“自由”があることだと思います。高等部の文化祭では、幼少期から大好きな歌を披露させていただく機会がありました。部活動を抜けて歌の練習に行かなければならないこともあったのですが、顧問の先生や仲間たちは快く私の意思を尊重し、応援してくれました。本番のステージは大盛況となり、高校生活の素晴らしい思い出に。「やってみたい」と思ったことを発信すれば、実現のチャンスを与えてもらえる寛容さが、私が感じる一番の魅力です。

山本私も在学中に関西学院の“自由”に触れる機会がありました。当時、高等部では運動総部の対抗試合がありませんでした。そこで学友会(生徒会)の仲間と相手校を模索し、関大一高に直談判。その年、見事関関戦を開催することができました。当時は自分たちの力で実現させられたことに喜んでいましたが、卒業後に当時の先生と話をする機会があり、実は陰からこの活動を支えてくれていたことを知ったのです。このように、生徒がやりたいことを自由に挑戦させ、そっと後押ししてくださる先生方の存在はとてもありがたいものだったと感じます。

裟都さんの今後の目標について教えてください。

裟都就きたい仕事など、具体的な将来のイメージはまだありません。まずはクリスマスボウルで優勝して日本一になるために、スタッフとしてチームに良い影響をもたらすことができればと思います。そして大学では、部活動で培ったスポーツトレーナーとしての知識を活かしたいです。現在、大学生のトレーナーや整骨院の先生と練習で関わる機会が多く、とてもよい環境に身を置いているという実感があります。トレーナーという役割を設けている部活動は少ないので、そういった環境が整っていない団体でこの力を役立てられればと考えています。

山本裟都にとって一生に一度しかない学生時代。大人になって振り返った時に、悔いの残らない時間だったと思えるよう過ごしてほしいと思っています。この先も打ち込めるものを見出し、精一杯楽しんでもらいたいです。

山本さんと同じように、関西学院に通うお子様がいる保護者の方へメッセージをお願いします。

山本月は自らが光りを放ち輝いているのではありません。太陽により照らされ、その恩恵により輝く事ができるのです。そして、今はまだ三日月でも、必ず満月へと満ちて行く。人も同じです。決して自分は、自ら輝いているのではなく、他人から照らされ、その恩恵により、輝いて見える。まだ半人前だけど、様々なことを学院で吸収し、立派な人間へと成長して行く…。関西学院のシンボルである三日月はそんな教えを表してくれています。子どもたちには、それを理解した上で、ぜひ関学の“輝く自由”を謳歌してもらいたいです。学院の卒業生でない保護者の方々も、お子様が通われているのであれば、もう関学ファミリーの一員です。ぜひ学院にお越しになり、関学の“自由”を感じ、お子様と一緒にKGライフを楽しんでください。