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File_03 仲尾 貢二さん・千絵さん

離れて暮らしているからこそ、強まっていく絆があると思う。

関西学院大学入学を機に親元を離れ、自立した生活を送りながら自分の進むべき道を探り続けてきた仲尾唯子。早くから世界に目を向けて海外体験を重ね、4年次には1年間のロンドン留学に飛び込んだ。どんどん逞しさを増し、力強く歩んでいく娘を見守り続けてきた両親の想いとは!?

仲尾 貢二さん・千絵さん

初めての一人暮らしは、子どもだけでなく、親も不安に。

K.G.小さな頃の唯子さんはどんなお子さんだったんですか。
貢二さん三重県南部の御浜町という田舎町で、自然の中を駆け回って毎日を過ごし、好奇心旺盛で活発な子に育ちました。しかし、意外と繊細な面があって私たちを心配させたこともありました。小学校5年生のときに津市に転校したのですが、急に都市部の学校に通うことになったため、戸惑いが大きかったようです。最初は「人が多くて怖い」と言っていましたし、方言をからかわれて落ち込んだこともありました。子どものことだからすぐに慣れるだろうと考えていたのですが、思った以上に娘はデリケートで、なかなか周囲に馴染むことができませんでした。
千絵さん元気がなくなってしまい、ちょっと見ていられない時期があって、「辛かったら学校を休んでもいいよ」と話したんですが、それでも娘は学校に休まず通いました。そのうちに次第にクラスメイトと仲良くなり、自分の居場所をつくることができたようです。小さい頃から、負けず嫌いで頑張り屋な一面がありました。
K.G.その後、ミッション系の中高一貫校、セントヨゼフ女子学園に進学されたんですね。
貢二さんそうです。英語教育、海外研修、ボランティアに力を入れている学校でした。娘はそこでオーストラリア・カナダでの海外研修や大阪釜ヶ崎でのボランティアなどの課外活動に積極的に参加し、自分の世界を広げていきました。
K.G.関西学院大学を選ばれたのは、どんな理由だったのでしょうか。
貢二さん娘は中高でのさまざまな経験を通して、多くの人のために自分の力を使いたいという意志を持つようになっていましたので、関西学院大学の「Mastery for Service」という理念に共感し、社会貢献プログラムに積極的であることにも魅力を感じたようです。進学先は東京の大学も含めて幅広く検討していましたが、オープンキャンパスに参加して実際に授業も体験させていただき、最後は関西学院大学を選びました。法学部政治学科で国際政治や貧困について学ぶのだと話してくれました。
K.G.そこから唯子さんは西宮で一人暮らしをして大学に通われているわけですね。これまで一緒に暮らしてきた娘が、家を離れるときのご両親のお気持ちというのは…。
千絵さんそりゃあ心配です。都会に慣れていない娘に、どんなことが起こるかわかりませんから。私は寮に入ってくれたらと思いましたが、娘はやりたいことがあり、自由に活動したがっていたので、結局、個人で駅周辺に部屋を借りることにしました。「インターホンが鳴ってもすぐにドアを開けないように」とか、思いつく限りの注意をした覚えがあります。
K.G.一人暮らしで困ったことは起こりませんでしたか。
千絵さんあれは入学して1、2週間した頃です。真夜中に電話が鳴って飛び起きると、唯子でした。明日学校に持っていかなければならない資料が、パソコンからプリントアウトできないと言ってパニックになっていました。家のパソコンとは違い使い慣れていなかったせいでしょう。「落ち着いてやったら必ずできるから」となだめ、そのときはなんとか無事に出力できたようです。そばにいれば、その場で画面を見てすぐに教えてあげられるのに。距離が離れるというのはこういうことなんだな、と思いましたね。そんなこともあって、最初は娘が毎日どうしているのかが気になりました。娘からも、生活の中で困ったことがあるとすぐに連絡が来ました。体調が悪いけど、どうしたらいい?とか。彼女も慣れない暮らしの中でいろいろ不安だったのだと思います。ですが、そのような連絡も学校生活や一人暮らしに慣れるにつれて少なくなっていきました。
K.G.少しずつ自立した生活の仕方を身につけていかれたんですね。
千絵さん正直言って、これまでずっと一緒に生活していた娘と離れて暮らすことは私にとっても寂しいことでした。でも、この気持ちは私が乗り越えなければいけないんだなと自分に言い聞かせていましたね。唯子も不安を抱えて暮らしている。それなら自分が元気でやっていることを娘に見せていこう。そうすればあの子もきっと、元気で暮らせるに違いない。そんなふうに考えて、こちらの様子も伝えるようにしました。娘の方からも自分がつくった料理やお弁当の写真など、生活の様子がわかるLINEが届き、それを見るとこちらも安心できました。そうした中で、私も少しずつ娘と距離を置く生活に慣れていきました。

2年次の春に、祖父も一緒に関学へ

2年次の春に、祖父も一緒に関学へ。芝生の上でお弁当を食べたのが思い出。

発展途上の国に踏み出し、どんどん逞しく成長していく娘をまぶしく感じた。

K.G.唯子さんは1年次にマレーシアでのボランティアに参加されていますが、その相談を受けたときはどんなふうに思われましたか。
貢二さん発展途上の国に行くのか、と驚きましたね。娘がこれまでに経験してきた海外は、どこもインフラが整った生活水準の高い国でしたから、いろいろ整っていない部分も多く、暮らしが不便で、文化的にも大きな違いがある国に出かけていくというのは、大きな不安を感じました。しかし娘はもともと関学に入学する際に、カンボジアでのインターンシップに参加するという目標を持っていましたし、いきなり半年間も途上国に滞在するのは難しいので、参加を希望する者は、1年次にマレーシアを経験して免疫をつけておいた方がいいと教員の方からアドバイスを受け、その決断に至ったそうです。娘が勇気を出して決めたことを、私たちが応援しないわけにはいきませんでした。マレーシアに行く際、私は関西国際空港まで娘を送って行ったのですが、そのときの光景を今でもよく覚えています。娘は私の貸した登山用の特大リュックにパンパンに荷物を詰め、それを背負って立っていました。その表情は、どこか不安気に見えました。心中はわかりません。でも考えてみれば、想像もつかない場所に出かけていくのに、怖くないわけがないんですよね。それでもおまえは行くんだなと、その一人立つ姿を頼もしく感じました。
K.G.マレーシアから帰国された後は2年次のカンボジアでのインターンシップに向けて準備をされ、学内の選考をパスして見事、プログラム参加の権利を獲得されました。そして4年次の春からは1年間大学を休学して、ロンドンの語学学校に留学されているとのこと。次々に自分の世界を広げていく唯子さんの姿をご両親はずっと見守ってこられたわけですが、一番印象に残っている挑戦はどのときでしょうか。
貢二さん印象が強いのは、やはり2年次に参加した半年間のカンボジア研修です。唯子はこれに参加することを自分の目標にしていましたし、そのために相当な努力もしていました。厳しい選考があったのだと思いますが、娘は有言実行でそのチャンスをつかんできました。親としては不安もありましたが、ぜひ行かせてあげたいと思いましたね。訪れたカンボジアの現地では、中学校の音楽の授業のサポートとNGO活動を行っていたようです。英語がほとんど通じない地域のため、コミュニケーションには相当苦労したのではないでしょうか。またプログラム参加者は週に一度レポート提出が義務付けられていましたが、慣れない環境下でよくこなしていたと思います。現地は衛生環境が良くないため、ダニやらトコジラミやらに襲われながらの活動だったと聞いています。私たちには想像もつきませんが、心の中で「負けるな」とエールを送りながら見守っていました。
千絵さん頼れる人のいない場所で、一人で頑張っている娘を応援するのに、特別な言葉は要らないと思いました。いつもと同じように接してあげたらいい。それで私は、LINEを通じて日常のたわいもない会話を娘としていました。わが家にはヤモリが棲み着いており、それが私と娘にとって一つの話題なのですが、「またあそこにヤモリが出たよ」と送ってみたり(笑)。すると娘からは、「お母さん、カンボジアにもヤモリはいっぱいおるよ」と返事が返ってきて可笑しくなりました。地球の遠く離れた場所にいるのに、私たちはちゃんとつながっているんです。
K.G.唯子さんは遠く離れた場所で一人で挑戦していたわけですが、ご両親もその背中をしっかりと見守っていらっしゃったわけですね。そのおかげで彼女は心細くなかったのかもしれませんね。
千絵さん手を貸すことはできませんが、それも娘の望んだことです。せめて悔いのないように取り組んで、大きな成長を遂げてほしいという思いで見守っていました。
貢二さん娘がどんなところで頑張っているのか見に行きたい。あるときその一心で、アンコールワットを訪れることにしました。きっと娘がいなかったら、生涯行くことのなかったはずの土地です。彼女は自分の行動を通して、私たちの世界も広げてくれたんです。緊張しながら現地の空港に到着した私たちを、娘が迎えに来てくれました。滞在している期間中に、彼女は現地のクメール語をいくらか使えるようになったようです。トゥクトゥクをつかまえると、運転手と手早く値段交渉をして私たちを乗せてくれましたし、娘の通っている学校に到着すると、現地の子どもたちと、笑顔で言葉を交わしていました。すっかりカンボジアの生活に溶け込んでいるじゃないかと驚かされました。そこには小学校のとき、新しい学校に馴染めなくて殻に閉じこもっていた娘の姿はもうありませんでした。いつの間にこんなに成長したのか。私は、羨望にも似た気持ちで大きくなった娘を見ていました。

  • 日本から遠く離れた現地の活動の様子

    日本から遠く離れた現地の活動の様子を見る度に、「唯子も頑張っているんだ」と勇気付けられた。

  • 現地の子どもたちと仲良くなり、逞しくなった娘

    アンコールワットには、現地の子どもたちと仲良くなり、逞しくなった娘がいた。

成長と共に変わっていく家族の形。いつまでも変わらない家族の絆。

K.G.知らず知らずのうちに、親の想像以上に育っていくのが子どもですよね。そんな唯子さんの成長を見守ってこられたこれまでを振り返って、どのような想いをお持ちですか。
貢二さん私は単身赴任の期間が長かったため、思春期の一番そばにいなければならないときに、娘のそばにいてあげられなかったという負い目があります。いつも気持ちは家族と共にありましたが、どうしても娘とのやりとりは妻に任せきりになり、黒子としてサポートしてきました。そんな私のことを、娘はどう思っているんだろうとずっと気になっていたんですね。それで今回のインタビューをきっかけに、「父は唯子にとってどんな存在ですか」とLINEで恐る恐る聞いてみたのですが(笑)、すると「やりたいことを応援してくれる!」と返ってきました。黒子も日の目をみた、といったところでしょうか。私のしてきたサポートを娘はちゃんとわかってくれているんだなと思いました。
K.G.唯子さんには今後、どんな道を歩んでほしいと望まれますか。またご両親はそんな彼女にとってどんな存在でありたいと思われますか。
貢二さんこれまでいろんなことに夢中で挑戦してきて、語学力もつけ、状況を判断する力もつけ、自立して進んでいく強さも身につけたのだから、社会人になったらその力を存分に発揮して、社会貢献をはじめ、自分が思う人生を全うしてほしいと思います。私はこれからも娘の自主性を尊重し、黒子に徹して見守っていきたいです。
千絵さん私はずっと唯子にとって安心できる場所でいたいと思っています。娘との付き合い方は、彼女の成長と共に常に変わってきましたが、それは決して家族のつながりが薄くなったのではなく、家族の形が少し変わっただけ。娘とつながる想いはこれからもずっと変わることはありません。
K.G.今日はご両親のお話をお聞きして、離れ離れに暮らすからこそ深まっていくご家族の絆を感じました。どうもありがとうございました。

  • 仲尾 貢二さん・千絵さん
  • 小さい頃読み聞かせた絵本や古い写真

    小さい頃読み聞かせた絵本や古い写真などを今も懐かしく眺めることがある。

私が思い切り挑戦できたのは応援してくれた二人のおかげ。

仲尾 唯子関西学院大学 法学部 4年生

お父さん
仕事の都合で一緒にいる時間はほかの友だちの家庭と比べて少なく、大学に入学してからは年に数回しか直接話す機会はなかったですが、LINEでたまに送られてくる“元気ですか”を見ると、気にかけてくれているんだなあと、いつも感じることができました。私の“これやってみたい!”に対して、いつも答えは決まって“頑張りなさい”の一言。一貫して背中を押し続けてくれました。22年間応援し続けてくれてありがとう。

お母さん
うれしいときも苦しいときも、いつも一番最初に気持ちを共有したり、相談したいと思うのはお母さんでした。大学入学後は、自分の興味の赴くままにマイペースに行動してしまうことが多かったため、いろいろ心配をさせてしまったと思います。でもどんなときも私の意志を尊重し、全力でサポートしてくれました。大学生活の中で悩みは尽きませんでしたが、いつも寄り添って一緒に解決策を探してくれました。落ち込んだとき、お母さんと電話で話していると不思議と元気になれました。22年間、私の心の拠り所でいてくれてありがとう。

なかお ゆいこ/中高生の頃から国際問題に高い関心を持ち、関西学院大学入学後は1年次にマレーシアでの海外フィールドワークに参加、2年次にはカンボジアでの海外インターンシップに挑戦して徐々に世界を広げ、4年次には大学を休学して1年間の留学にも挑戦。