地上最高の観測ができる南極大陸に超高精度な電波望遠鏡を建設するという壮大な夢に向かって計画を推進されている中井教授。 未曾有の望遠鏡建設が成し遂げられると、宇宙のどんな謎が解明されるのか。日本が世界に先駆けてその領域に踏み込むことは何を意味するのか。
多くの研究組織を束ね、実行責任者として計画を引っ張る中井教授に計画の先に広がる希望や実現のための苦闘などをお聞きしました。
南極大陸の高精度電波望遠鏡でどんな謎が解明できるのか。
宇宙はおよそ138億年前にはほとんど点のような大きさで超高温、超高密度だったものが大爆発(ビッグバン)を起こして急激に膨張し、現在の広大な宇宙ができました。私たち人類には「遠くの宇宙がどのようになっているかを知りたい」という知的探究心がありますが、光の速さは有限ですのでより遠い星空を観測することはより古い宇宙の姿を見ることと同義です。より古い宇宙を見ることができれば、宇宙の誕生について知る貴重な手がかりが得られることでしょう。
例えば、もともと宇宙は水素とヘリウムという軽い元素で構成されていたことがわかっていますが、私たち生物は炭素や酸素、カルシウムなどの重い元素で構成されています。すなわち、いつのまにか星の内部でそれまでなかった重元素が生み出されたのです。ところが、いつ、どのようにしてそのような星が誕生したのかという生命誕生の謎は未だに解明されていません。星、惑星の母体である銀河の誕生について知ることはそんな生命の誕生の謎を解明することにもつながるはずです。
私たちが今計画している「南極10m級電波望遠鏡」は、現在の望遠鏡の限界を超える高精度な望遠鏡を、世界中で最も観測条件の良い南極に設置し、より古い銀河の姿を観測しようという計画なのです。現在、世界の大型光学望遠鏡では一番遠いところで133億年ほどさかのぼったところに銀河が見つかっていますが、それより遠くは見えていません。また約120億年以上さかのぼったところでは、あるはずだと思われている銀河の1割ほどしか見つかっていません。残りの9割ほどの銀河は行方不明です(暗黒銀河)。その行方不明の銀河たちはどこに行ったのでしょうか。
私たちは光学望遠鏡ではなく電波望遠鏡で遠くを見るとその行方不明の銀河を探すことができると考えています。理由は、可視光では銀河は遠ければ遠いほど暗くなり見えなくなりますが、電波では途中から明るさは変わらなくなり、さらに遠くなると逆に少し明るく見えるという特殊な現象が起きるからです。したがって、光学望遠鏡では見えない非常に遠くの銀河も電波望遠鏡では見えるはずです。
この南極電波望遠鏡計画が天文学にもたらすインパクトは非常に大きいと考えられ、日本国内のみならず、世界からも大いに注目を集めています。南極大陸という場所を候補にしたのは水蒸気量が極めて少ないためです。水蒸気量が多い場所だと宇宙からやってくる高い周波数の電波が大気中の水蒸気に吸収されてしまうため電波が弱くなり観測が困難になります。その点、私たちが望遠鏡を設置予定の南極の「新ドームふじ基地」は、標高が3,800メートルと高く、気温も-20℃〜-80℃と極めて低いので、条件の良い南極大陸の中でも特に水蒸気量が少なく、地球上で最も天文観測に適した場所だと考えています。
研究のきっかけは、一通の手紙と驚きのデータ。
南極望遠鏡建設計画のきっかけとなったのは1989年11月に、国立天文台野辺山宇宙電波観測所の海部宣男教授(当時)のところに米国の若手研究者ジョン・バリーという人から届いた一通の手紙です。そこには「南極内陸部の高原地帯は電波の天文観測をするにはこんなにすばらしいところだ」というデータが示されていました。それは翌12月の観測所の勉強会で参加者全員が目をみはるようなものでした。このとき観測所に所属する若手研究者の一人であった私自身も大変興味を持ちました。そのときにはじめて日本人は南極での天文観測に目を向けたわけです。
私はすぐにでもそのプロジェクトに着手したいところでしたが、残念ながら当時は野辺山観測所に10メートルのアンテナを30台設置するという巨大プロジェクトが進められており、二兎を追うわけにはいかなかったため、南極望遠鏡の構想は時期を待つことになりました。そして2004年に私が野辺山観測所を離れ、筑波大学の教授になったとき、14年前に棚上げしてしまっていたテーマが頭に蘇ってきたのです。南極での天体観測は2007年にアメリカが南極点のアムンゼン・スコット基地に10m電波望遠鏡を造って先行していました。しかしそこは、我が国の新ドームふじ基地より標高が1,000メートルほど低く、大気の透過率などの条件が劣る場所だったのです。
もし私たちが新ドームふじ基地に天文台を建設できれば、日本が研究成果でアメリカを逆転するチャンスがある。私はこう考えて、このプロジェクトを推進しています。
志を実現するために、幾多の困難を乗り越えて。
決意をしてからすでに17年が経過しており、その間にさまざまな困難がありました。
まず第一の困難は、文科省に概算要求を出したいという私の要望が筑波大学内でなかなか認められなかったことです。当初は10億円の要求でしたが、それでも金額が大きすぎるという理由で、全く話を聞いてもらえませんでした。大学の組織が変わり、私の言い分が認められる機会が訪れるまでに8年もかかってしまいました。
第二の困難は文科省で予算が認められないことです。2013年にようやく概算要求(20億円強)を出すことができ、文科省に計画の説明に訪れたところ、先方はこの計画の意義を理解して高く評価してくれたのですが、しかしながら国の予算が厳しいとのことで現在まで認められていません。基礎科学研究が対象になる補正予算があれば、そこに出したいと言ってくださっていますので機会を待っていますが、今年は新型コロナウイルスの影響があり、文科省を訪れることさえ叶いませんから、もう少し時間がかかりそうです。
そして第三の困難は、建設場所の確保です。もともと望遠鏡の建設場所は日本が新たに計画中の新ドームふじ基地を考えており、国立極地研究所と10年にわたって検討し、計画も立ててきたのですが、輸送や建設に費用がかかることから文科省に認められず一度は頓挫しました。仕方なくフランス・イタリアのコンコルディア基地を次の候補に考え、フランス・イタリア両国と交渉しましたが、この交渉も難渋。最終的には国立極地研究所が別の調査目的のために新ドームふじに手持ちの費用で小さな基地をつくる計画を提示してくれましたので、私たちもそこに建設する予定です。
これらも非常に大きな困難だったわけですが、もう一つ大きいのが、望遠鏡をつくってくれるメーカーが見つからなかったことです。私たちが必要としているのは非常に精密なアンテナです。形状はパラボラアンテナのような形ですが、直径は10メートル。その広大な曲面において、髪の毛一本の1/4くらいの誤差しか認められないというシロモノ。日本でこのようなアンテナをつくれるメーカーは1社しかありません。私たちはそのメーカーに何度もお願いをしたのですが断られ、アンテナ建設の目処が立ちませんでした。ほかに道もなく、それならばと自分たちで開発をはじめたのですが…、このような私たちの試みは日本の電波天文コミュニティから強い批判を受けました。素人にそんな精度の高いアンテナができるわけがないだろうと。その意見はもっともです。ただ私たちにとってはできるかどうかではなく、それは「やらなければならないこと」でした。しかし、そんな一連のやりとりを見ていた外国のアンテナメーカーの代理店の方が、「うちが造りましょうか」と声をかけてくれました。それが私たちにとっての救世主。おかげでこの計画は打ち切りにならずに済んだのです。想いはどこかに通じるものですね。そこから金額の調整などの期間を経て、最終的には3社が名乗りを上げてくれ、文科省の概算要求が通った際には入札でメーカーを決定することになっています。一方、概算要求が通らなかった場合のことも考えて、一般の方や関西学院の同窓生に20億円の寄付を募って実現することを並行して進めています。
後からやってくる人のため、道なきところに道をつくる。
私たちがなぜこのような困難に立ち向かうのか。それは、日本の天文学を飛躍的に発展させる可能性があるからです。全く新しいこと、前例のないこと、先駆的なことをやろうとすれば、必ず多くの反対を受けることになります。しかし、殴られても、蹴飛ばされても、罵声を浴びても、唾をはきかけられても耐え忍び、信念を押し通していかなければならない。それが自分の使命であると、自らに言い聞かせています。いつか道のないところに道が拓けたときには、今まで反対していた人たちもみんなが「よくやった」と言ってきます。しかし、最初は先駆的な研究はなかなか理解されないものです。日本の天文学の分野は、これまでも勇気あふれる先人たちの挑戦によって切り拓かれてきたわけですが、現在の状況を見ると、欧米の研究に相乗りすることばかりが良しとされる風潮があり、先行きが心細くなります。そのような時代に、日本が自分たちの頭で考え、自らの力で成し遂げようとすることが重要だということを示すためにも、南極望遠鏡計画の実現は大切だと思っています。
私の考える“Mastery for Service”とは、「しっかり勉強して、人を幸せにできる人間になりなさい」、そして、卒業したら「人を幸福にしなさい」ということだと思っています。これは単なる慈善行為ではなく、優れた研究や仕事を継続的に行うための必須の理念です。その結果として「人生に意味を与え、自分自身も生きることができる」のです。経営の神様と言われる松下幸之助氏や稲盛和夫氏、最近話題になったスーパーボランティアの尾畠春夫氏はその証拠です。定年も間近となっているこの時期に、2018年から私が母校に戻ってきてこのような研究に取り組んでいるのも不思議なめぐり合わせかもしれません。人は自分の得た知識や技術で誰かを幸せにしていかなければなりません。私の場合は、南極での観測を実現することで日本の天文学の発展に貢献することがそのための挑戦なのです。
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Phase 1
口径30cm可搬型テラヘルツ望遠鏡を設置して新ドームふじ基地に南極天文台を建設。
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Phase 2
20億円の寄付金を集め、南極10m級テラヘルツ望遠鏡を建設して、宇宙にある明るい銀河のほとんどを観測する。
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Phase 3
南極30m級テラヘルツ望遠鏡を国立天文台などと協力して実現し、宇宙にある普通の明るさの通常銀河のほとんどを観測する。これによって銀河とその中心にある巨大ブラックホールがいつ誕生したのかを明らかにする。
推進機関
関西学院大学、筑波大学、北海道大学、国立天文台、国立極地研究所、電気通信大学、埼玉大学、福島高専、日本大学、JAXA、情報通信研究機構、公立小松大学、ほか南極天文コンソーシアム
南極10m級テラヘルツ望遠鏡
〈完成予想図〉
テラヘルツ波は周波数1THz(波長300μm)前後の電磁波。このテラヘルツ波を観測できる望遠鏡を、地上唯一の観測ポイントである南極に設置する。