- File 05
藤井 和則 さん - File 04
河野 雄一 さん - File 03
仲尾 貢二 さん・千絵 さん - File 02
徳野 義信 さん - File 01
亀山 督 さん
File 04河野 雄一さん
関西学院中学部に入学して、はや5年半。日々の勉強や部活動を通し、逞しく成長を遂げる河野雄大。高等部3年生となった現在は、大学に向けた勉強にも力を注いでいる。そんな彼を親として、また関学の先輩としても見守り続けてきた父親の心中を尋ねた。
祖父が、父が、自分が通った関西学院に息子が入学。
K.G. 雄大さんが関西学院中学部に進学された経緯からお教えください。
河野さん きっかけは私自身が「息子を関学に入れたい」と思ったことです。実は私の家族は、祖父が関西学院大学の卒業生で、父は関西学院の高等部と大学の卒業生、そして私がその後を継いで、関西学院の中学部・高等部・大学を卒業。いわば筋金入りの「関学ファミリー」なんですよ(笑)。私自身、特に卒業してから母校の素晴らしさを実感することが多く、息子にもぜひそんな良い環境で学んでほしいと考え、進学を勧めたのです。もちろん強制はしませんでしたが、自然に受け入れてくれました。
K.G. お子さんがご自身の母校に通うというのは、感慨深いでしょうね。
河野さん そうですね。中学にも高校にも、私がかつて指導を受けた先生方がいまも現役でいらっしゃって、中学部の岡本先生は息子が入学すると「よう似とるなぁ、おまえ」と頭をグシャグシャに撫でながら喜んでくださいました。高等部の尾城先生も私の恩師ですが、顔を合わせる度に「息子はいい感じに成長しているよ」と話してくださいます。私がかつて通ってきた関学という空間を、年の離れた息子と共有できるのは確かに感慨深いものがありますね。
K.G. 河野さんは関学のどういうところに特別な魅力を感じ、お子さんに勧めようと思われたのですか。
河野さん 関学には、いい人が集まっている印象があります。目の前のことにあまりガツガツしていなくて大らかで、お互いを認め、助け合うやさしさを持っていて…。同級生にも、先輩にも、先生にも、どこかに独特の“関学らしさ”があるんですよ。私の妻は関学出身ではありませんが、「あなたの知り合いの中で、関学生の人は見たらわかるね」とよく言っていました。私が友人たちと生涯続く深い絆を築くことができたのも、いい人が集っている関学キャンパスだからかもしれません。私は息子にもそこで大切な仲間と出会い、素晴らしい時間を過ごしてほしいと思いました。
K.G. それで関西学院中学部をめざして家族一丸となって努力され、見事、入試という難関を突破されたわけですね。
河野さん 合格発表の日のことは忘れられませんね。
K.G. なにかドラマがあったのですか。
河野さん 実は、35年ほど前の私の中学入試のとき、父親と一緒に発表を見に来たのですが、父に「結果は一人で見てこい」と言われたんです。緊張しつつ掲示板の前に行ってみると、合格していました。それで私は少しカッコをつけて、父に「サクラが咲きました」と報告し、感激してその後、一人でオイオイと泣いていたそうです。私自身はもうそのときのことを全く覚えていないのですが(笑)。とにかく、そんなことが自分自身にあったものですから、私も合格発表のときは中学部校舎の入口まで一緒に行って、その先は息子に「一人で見てきなさい」と言いました。かつての父親と自分の姿を重ねてみたかったのです。ところが息子の様子を見ていると、人混みに遠慮してなかなか掲示板の前に進んでいきません。こちらの方が、やきもきしてしまいましてね。すぐ後ろから、「早く行きなさい」と背中を押すように急かしていると…、私は生まれつきかなり目がいいものですから、息子より先にその番号を見つけてしまったんですよ。彼の受験番号です(笑)。しばらくして息子が掲示板を確認して戻ってきたときにはもうすでに感極まって泣いていました。息子はやれやれという感じで少し微笑み、「受かりました」と報告してくれましたが、思い描いていたような親子の感動の場面にはなりませんでした。思い返せば、いつも私だけが泣いていますね(笑)。
単身赴任で離れて暮らす中で、父親としてのコミュニケーションを。
K.G. 確かにそれは思い出深いシーンですね(笑)。そしていよいよ雄大さんの関学生活がはじまるわけですが、中学に入ってからの様子はどうでしたか。
河野さん 息子は卓球部に所属し、部活動にも真剣に取り組むようになりました。私は子どもの頃から祖父の家の卓球台でよく遊んでいたため、卓球の腕前にはかなり自信をもっていましたが、1年くらいするとすぐに息子に追いつかれ、子どもの成長はこんなに早いのかと驚かされました。きっと必死で努力していたんでしょうね。これは部活動の例ですが、勉強やほかのことについても、きっと彼なりに必死に努力して成長していたのだろうと思います。
K.G. そういった成長を目の当たりにすることは、親としてうれしいですよね。
河野さん そうですね。私としては、その後も息子の成長をしっかり見守っていきたいと考えていましたが、彼が中学2年生のとき、会社の意向で私の単身赴任が決まりました。このタイミングで家族と離れて暮らすことには、正直いろいろな葛藤がありましたね。不安定な精神状態で東京へ赴任しましたが、仕事上のストレスが重なったこともあり、食べ過ぎてしまって1年間で15kg太った時期もありました。今はだいぶダイエットしましたが。
K.G. そうでしたか。でも単身赴任をされると、どうしてもお子さんと直接話をする機会が減りますね。やりとりはやはり、SNSが多いのでしょうか。
河野さん いえ、メールやSNSでのやりとりには誤解がつきものですから、私は簡単な用件ならLINEで済ませますが、大切な話はできる限り直接会って話すことにしています。今家族と顔を合わせる頻度は2週間に1度くらいですが、そのときには息子とできるだけ話す機会を作っています。
K.G. 大切なお話というのは、例えばどんなことですか。
河野さん 息子が日々どんなことに頑張っていて、どんな悩みを抱えているのか。そういうことをできるだけ親身に聞いて、アドバイスしたいと思っています。以前は、卓球部のレギュラー争いの中で、自分が選出されたことでほかのメンバーと少し気まずくなったことを話してくれたこともありました。確かに彼の年齢ですと、なかなかデリケートな問題なのだろうと思います。でも勝負の世界では、常に誰かが誰かを超えるために努力し、勝ち負けが決まるわけですから、そこはどちらも後腐れなしだろう。長い目で見たときには、お互いがお互いを成長させていくものだと話した覚えがあります。
K.G. いくら家族とはいえ、久しぶりに会うとなかなか話がしにくいということはありませんか。ましてや、改まった話をするとなると、切り出しも難しそうですが。
河野さん それは確かにありますね。息子は今高校3年生ですから、さすがに幼い頃と同じようになんでも素直に聞いてくれるわけではありません。私が声をかけても、放っておいてほしいときはろくに返事もしないことがありますよ。ただ、私が久しぶりに家に帰って夕食の後に寛いでいると、2階の自分の部屋から降りてきて一緒にテーブルについてくれたりします。
K.G. 息子さんも、やっぱりお父さんと話したいんでしょうね。
河野さん そう思いたいですね(笑)。あと私と息子には共通の話題がありまして、二人共阪神タイガースファンなんですよ。ですからいつも第一声は、「最近、阪神あかんな〜」とか、そういう話から入ります。親子でなかなか話題がないというご家庭の話も聞きますが、トラキチの家庭ではその点は心配ありません(笑)。年に2・3回は甲子園にも一緒に行って応援しています。それから妻には大変感謝していますね。妻は息子と常に仲が良く、日常のことをいろいろ話し合っていますから、私が息子と話したほうがいいと思うことは妻が教えてくれることもあります。
K.G. 家族とのコミュニケーションを深めるために、意識されていることはありますか。
河野さん 年に1回の家族旅行はずっと続けていますね。2人でしっかり話し合う場も必要だと思いますが、かしこまらない普段のやりとりの中でしか伝えられないこともあると思いますので、そういう機会は大切にしています。今回このインタビューをお受けすることになって、家族にも聞いてみたのですが、妻も息子もこれまで家族で旅行してきたことがいい思い出として残っているようでした。
Mastery for Serviceの精神を持ち、チームの中で存在感を発揮してほしい。
K.G. 河野さんは息子さんに、今後どんな成長を遂げてほしいと考えておられますか。
河野さん 社会に出ると、人はさまざまな問題に向き合わなければなりませんが、そのとき一人で解決できることというのは本当にわずかです。どんな現場で働いてもきっと、いろんな人の力を借りながら、大きな目標を達成していくというスタンスが必要になるのではないでしょうか。ですから私は関学での学びと、良い仲間たちとの交流を通して、息子にほかの人と共になにかを成し遂げていく力を身につけてほしいと考えています。
K.G. 河野さんご自身がお仕事の中で、それを実感されているということですか。
河野さん そうですね。私は営業職として長年最前線で頑張ってきましたが、現場では個人プレイではなくチームの力を大切にしていて、若手もベテランも、お互いに助け合って全体のパフォーマンスを発揮していく組織のあり方を追求してきました。困っている誰かをサポートし、「ありがとう」と言われる働き方は、自分自身のさらなるモチベーションにもつながるものです。最近思うのですが、こうした自分の価値観は、Mastery for Serviceの理念を掲げる関学で学んできたことで、知らず知らずのうちに身についたことかもしれません。息子も、いつかそういうことを理解してくれるとうれしいですね。
K.G. 息子さんはそんな河野さんの背中を見て、どんなことを感じていると思いますか。
河野さん さあ、それはわかりませんが、私がかつて2回ほど営業成績全国No.1の成績をあげて会社から表彰を受けたことがあり、そのときは息子も「営業もいいかも」と話していた気がします。私自身は別に営業職をやってほしいとは思いませんが、父親が誇りを持って仕事に打ち込んでいる姿を見て、自分自身の生き方を考えるきっかけにしてくれたらという思いはありますね。
K.G. 現在は高校3年生ということですが、最近お子さまの成長を一番感じるのはどんなときですか。
河野さん もともと性格が穏やかで、いつもニコニコして周りから好かれるタイプですが、自分の意見をはっきりと言わない優柔不断なところがあり、そこが気になっていました。家族で何かするときも、「どっちでもいい」が口癖のようになっていたんですよ。それが最近は少し自分の意見を話すようになってきたように思います。一緒にテレビのニュースを見ていても、日本の経済やアメリカの外交のあり方についてどう思うかを語ってくれたり。そんなときは雄大もいろいろなことを学びながら、しっかりと成長しているんだなとうれしくなります。
K.G. 段々と自分が確立されてきているんですね。
河野さん そう思います。先ほど申し上げたように、社会の中でチームで活躍しようと思ったら、周りに合わせるだけでなく、自分の意見をしっかり確立している人でなければ仲間たちから認められません。自分の考えを持って力強く行動できるからこそ、尊敬を集めることもあるし、頼りにしてもらえるのだと思います。息子にはぜひそんな社会人をめざしてほしいと思いますね。
K.G. 単身赴任で普段は離れて生活しておられますが、いつも家族のことを考えていらっしゃることがひしひしと伝わってきました。河野さん、どうもありがとうございました。
関西学院での素晴らしい経験に導いてくれた家族に感謝しています。
河野 雄大 関西学院高等部 3年生
関西学院に入学してから約5年間いろいろな経験をしてきました。中学部では千刈キャンプ、青島キャンプ、高等部ではスキー修学旅行など印象深い行事に参加しました。中でも、青島キャンプでは副班長を務め、スキー修学旅行では自由行動の班長を務めるなど、皆をまとめる責任のある立場も数多く任せてもらいました。それらの経験によって人間的に成長することができたと思っています。そして、このような経験ができたのも関西学院に入るきっかけを作ってくれた両親のおかげ。受験勉強をはじめたときは特に関西学院に入りたいとは意識していませんでした。しかし両親や周囲の人々の強い勧めにより関西学院の素晴らしさを知り、関西学院に入学したいと思う気持ちが強くなりました。そして関西学院に入学して生徒として過ごしている今、僕は両親にとても感謝しています。また僕が同窓4代表彰の一人になれたことはとても誇らしく思っています。
こうの ゆうだい/2014年に関西学院中学部に入学し、曾祖父、祖父、父から続く4世代目の関学生という道を歩みはじめる。課外活動は、中学から高校まで卓球部で活躍。