長い下積みを経て花開いた小説家という夢。素晴らしい作品を読者に届けるため常に挑戦し続けたい。

姉である放送タレント・塩田えみさんの影響もあり、幼い頃からエンターテインメントの世界に関心があった塩田武士さん。高校時代に喜劇俳優や漫才師に挑戦するも、なかなか芽が出ず活動を断念します。1998年に関西学院大学社会学部へ進学し、在学中に小説家を志すように。卒業後は新聞記者として働きながら、小説の新人賞に応募し続け、第5回小説現代長編新人賞を受賞した『盤上のアルファ』でついにデビューを果たします。2016年に発表した著書『罪の声』で第7回山田風太郎賞を受賞するなど、小説家としてのキャリアを着実に重ねている塩田さん。今回は、エンターテインメントに魅せられた過去や大学在学中の思い出、小説家としての思いなどをお聞きしました。

家族の影響で、幼い頃からエンターテインメントの世界に憧れを抱く

高校生の時には喜劇俳優や漫才師として活動されていた塩田さん。どのような青春時代を過ごされたのでしょうか。

家族の影響で、幼い頃から様々なエンターテインメントに触れる機会が多くありました。まず母が私に読み聞かせてくれた本は、なんと童話ではなく松本清張の著書。印象的な本の中に、『顔』という作品がありました。この物語では、役者の卵である主人公が自らの保身のために大きな罪を犯します。その後、主人公は役者として成功を収めますが、有名になればなるほど、過去の罪が暴かれるのではないかという恐怖に追い詰められていきます。その姿を通して、母は「悪いことをしたら結局自分に返ってくるんやで」と私に言うのです。そこだけを切り取ると、確かに多くの童話と似たような教訓を伝えているのですが、内容がかなり衝撃的でしょう(笑)。幼い頃から人間の狂気やそこに宿る面白さといったものに関心があったのは、間違いなく母の読み聞かせによるものだと思います。8つ年上の姉の存在も大きかったですね。当時高校生だった姉の世代では、私たち姉弟と同じ兵庫県尼崎市出身のお笑いコンビ・ダウンタウンが大ブームに。姉と一緒にテレビを見ているうちに、お笑いに夢中になりました。「巨人」や「阪神」というと同世代の子はみんな野球を連想する中、私はオール阪神・巨人の漫才に夢中だったんです(笑)。こうしてすっかりエンターテインメントの世界に魅せられた私は、高校生の時に喜劇俳優や漫才師として活動を始めることに。コンビを組んでプロダクションに所属していたこともありました。一生懸命ネタを書いてはコンテストに出場していましたが、見事にウケない(笑)。受験シーズンになりコンビは解散。家族からの薦めで、関西学院大学に進学することにしました。

切磋琢磨し合える仲間に出会えた学生時代。
就職後は二足の草鞋で、夢に向かって突き進む

関西学院大学での学生生活で印象に残っていることを教えてください。

難波功士教授のゼミでの活動です。難波先生はとても気さくな方で、私がゼミの課題でコントの映像を撮影した際には、カツラをかぶって出演してくれたことも(笑)。学生の自由を尊重する難波先生のもとには、とにかく個性溢れるゼミ生が集まっていました。その中でもひときわ存在感を放っていたのが、音楽ユニットorange pekoeのボーカルであるナガシマトモコさん。在学中にデビューを果たした同級生の存在は、エンターテインメントの世界に憧れていた私にとって大きな刺激になりましたね。ナガシマさんに限らず当時のゼミ生とは今でも連絡を取っており、みんながそれぞれのステージで活躍しています。卒業後もお互いを高め合える仲間に出会えたことは、人生の大きな財産です。

お笑いの道から一転、小説家を志したきっかけを教えてください。

大学1年生の夏、エンターテインメントの世界に進みたいけど舞台芸術やお笑いではうまくいかず、自分には才能がないんだと悩んでいました。そんな中、姉の薦めで一冊の本に出会います。史上初となる江戸川乱歩賞と直木賞のW受賞を果たした名作、藤原伊織の『テロリストのパラソル』です。何気なく読み始めたのですが、あまりの面白さにページをめくる手が止まらず、小説を一気に読み切るという初めての経験をすることに。この本との出会いはそれほど衝撃的なものだったのです。インターネットが普及していない時代で、映像作品や舞台芸術を見るには時間などの制約が多くありました。一方で小説は自分のペースで読めて、大してお金もかかりません。こんなにすごいエンターテインメントはないぞと気づいたのです。また、創作に携わる人数が非常に少なく、ほとんど作家と編集のみで完結するという点も自分の性格に合っていると感じました。早速その日のうちに原稿用紙を買ってきて、執筆活動を始めました。

普段は万年筆を愛用しているが、頭に浮かんだ小説に関するキーワードを書き出したり整理したりする過程では鉛筆を使用。鉛筆が紙に擦れる音で集中力が高まるのだとか。

在学中から小説家を志しながらも、卒業後は神戸新聞社に就職されています。

小説を書き進める中で、自分の知識不足を痛感し、もっと多くのことを勉強したいと考えるように。「色々な現場に行けて勉強になる」という考えから新聞記者の道を選びました。神戸新聞社への内定をもらい一安心したのですが、入社後に待っていたのは、夜討ち朝駆けで警察回りをする日々。最初の頃は小説を書く余裕など全くなく、寝る時間を確保することだけで精一杯でしたね。その後も様々な部署を経験しながらなんとか筆を執り続け、文化・社会部での将棋の取材経験を活かして執筆した『盤上のアルファ』でデビュー。小説家を志してから12年ほどが経っていました。

長い下積みの上に、築き上げてきた小説家としてのキャリア。
活字の力を信じて、読者に作品を届けていきたい

第7回山田風太郎賞を受賞するなど、大きな注目を集めた代表作『罪の声』についてお聞かせください。

関西学院大学に在学中、食堂のテラスで「グリコ・森永事件」関連の本を読んでいた時のことです。犯人グループの犯行声明に関西弁の未就学児の声が使われていたという事実を知り、「関西で自分と同世代ということは、テープの声の子どもとどこかですれ違ったりしていたかも」と関心を抱きました。この子どもの人生を物語にしてみたいという思いから生まれたのが『罪の声』です。学生時代に着想を得てからずっと温めていた渾身の企画だったので、書く時には相当な覚悟が必要でしたね。小説の中には、主人公の阿久津英士という記者が事件を追ってイギリスの各地を訪ねるシーンがあります。

取材のために自費での英国横断を敢行するなど、限られた時間の中でも徹底的に行った取材資料をもとに執筆に臨みました。初版発行から1週間後に1万部の重版がかかった時に、これは自分の人生の節目になるかもしれないと感じたのを覚えています。記者時代に培った、とにかく取材に赴いて人の話を聞いてみるという現場主義の姿勢が大いに生かされた作品でした。
※1984~85年に大阪府・兵庫県などで起こった、食品会社を標的とする一連の企業脅迫事件。2000年にすべての事件の公訴時効が成立し、未解決事件となった。

今後の創作についての展望をお教えください。

最新作の『朱色の化身』では最初にプロットを書かず、「ジェンダー」や「テクノロジー」といったキーワードだけを設定し、一斉に取材を開始。集まった情報からストーリーを作り上げるという手法を用いました。また、その創作過程をドキュメンタリーにするという新しい試みにも挑戦。活字離れが進み、映画ですら倍速で視聴する人が増えている中で、どうすれば小説に興味を持ってもらえるのかを常に考えています。作家は書くだけで、本を売ることは出版社に任せるのではなく、しっかりと読者に届けるという姿勢を持ち続けたいです。文字を読むと、そこから受けたインスピレーションで、自分の過去の経験を思い返したり、「自分だったらこうするな」ということを考えたりしますよね。受け身のメディアが溢れている世の中において、自分の世界を広げる余地のある活字は、非常に豊かなものだと感じます。皆さんに楽しんでもらえる作品を書くことで、そんな活字の魅力を伝えていきたいです。

My History

私の成長年表

関西学院大学の後輩へメッセージ

社会は、大したものではないのに立派に見えている、もしくはとても大事なものなのに軽視されているといった虚像に溢れています。こうした虚像を形成しているのが、先入観と依頼心です。「誰かがやってくれるだろう」と決めつけるのではなく、自ら行動してみましょう。そして本をたくさん読んで知見を広げてください。これを積み重ねると、誰にも真似できないあなただけのものの見方が養われていきます。まだ何者にもなっていない学生時代は、独自の視点を身につける絶好の機会です。「自分はどう生きたいのか」ということをきちんと考えながら、多くのことにチャレンジしてみてください。