期待に応えたい。その積み重ねがキャリアを切り拓く。

2003年に関西学院大学を卒業した井川沙紀さん。人材派遣会社やベンチャーインキュベーション会社を経て、アメリカのソフトプレッツェルブランドの日本展開、日系外食企業のハワイでのレストラン事業展開に携わるなど、国内外で様々な国の人たちと協働しながらキャリアを重ねてきました。2014年にはブルーボトルコーヒージャパン合同会社に広報・人事マネジャーとして入社し、翌年には取締役に就任。まさに順風満帆に見えるキャリアですが、転職を決める際には毎回悩みも抱えていたと井川さんは語ります。約7年間働いたブルーボトルから今年独立し、自身の会社を設立して新たなチャレンジを始めている井川さんに、関西学院大学在学中の思い出やこれまでのキャリア、仕事に対する思いについてお聞きしました。

大学での学びや海外経験、仲間との出会いが自分の世界を広げてくれた

大学時代の思い出をお聞かせください。

中学時代をアメリカで過ごしたため海外に興味があったこと、1つのジャンルに絞らず幅広く学べることを理由に、関西学院大学の総合政策学部に進学しました。当時のカリキュラムは環境・都市開発・国際関係という3つのカテゴリに分かれていて、どれも自分が学びたい分野だったので、自分の興味関心についてじっくりと考えながら、多様な選択肢の中から授業を選んでいくことができました。神戸三田キャンパスはまだ総合政策学部しかなかったこともあり、アットホームな雰囲気に溢れていて、ほとんどみんなが顔見知り。いろんな人たちと学年の垣根を越えて仲良くなれたのが良かったですね。卒業して20年近く経った今でも、東京に住んでいるメンバーとは同級生だけでなく後輩も交えてよく集まっています。お店をやっている人もいるので、そこにみんなで行ったりして、年に何回かは会っていますね。人を紹介し合うこともよくありますし、卒業後も“総政ファミリー”みたいな感覚があるのかもしれません。

在学中はどんな取り組みに力を入れていましたか?

いろいろな国を自分の目で見てみたいという気持ちが強かったので、アルバイトをいくつも掛け持ちして、貯めたお金で海外に行くことを繰り返していました。大学の4年間で、東アジアや東南アジア、ヨーロッパのたくさんの国を訪れました。3年生の夏には、大学の留学プログラムを利用して、フランスに1か月半ほど留学。フランスを選んだのは、高校生の時から第二外国語としてフランス語を学んでいて、大学でも引き続き選択していたからです。留学中は実際に現地でフランス語を使ってみることができましたし、様々な国の人と交流できたのも良かったですね。国際比較文化論をテーマとするゼミに所属していて、ゼミ旅行では先生が引率していろいろなところに連れて行ってくれました。そのゼミはたまたま帰国子女が多くて、それぞれ個性的なルーツや経験を持ったメンバーが集まっていたので、とても多様でユニークでしたね。学生時代は、将来自分が海外で働くことまでは考えていなかったのですが、卒業後に仕事で様々な国の人たちと関わるようになった時、特に抵抗感なく飛び込んでいけたのは、学生時代の海外経験がベースになっているのかなと思います。

人の縁に導かれて常に前向きに積み重ねてきたキャリア

これまでのキャリアについて教えてください。

人材派遣会社やベンチャーインキュベーション会社など4社を経て、2014年にブルーボトルコーヒージャパン合同会社に広報・人事マネジャーとして入社しました。翌年には取締役に就任し、日本支社長、アジア支社長、アメリカ本社のブランド担当を経験。ブルーボトル以前の4社での経験も含め、今改めて振り返ってみると1つひとつのキャリアが次へとつながっているのですが、転職をする時は毎回すごく悩みましたね。日本では何度も転職することをあまり良しとしない風潮がありますし、親からも心配されました。でも私としては、何か 不満があって辞めるのではなく、新しいチャレンジをしたいとか、1つのジャンルをもっと極めたいとか、前向きな理由を持って次に行くように心がけていました。キャリアアップという言葉がありますが、私自身はキャリアに対してアップとかダウンというイメージは持っていなくて、より自分らしく軽やかに働きたいという気持ちで歩んできたように思います。実は、2社目から3社目、3社目から4社目に転職する時、エージェントの方にお世話になったのですが、その方も関学出身だったのです。同窓ということもあり仲良くなって、とても親身にサポートしてくださいました。その方とは今でも連絡を取り合っていて、アドバイスをいただいています。人の縁に恵まれているなと感じますね。

現在の仕事内容について教えてください。

独立して会社を立ち上げてからは、様々な企業をサポートする仕事に携わっています。仕事内容は大きく分けると2つで、1つはPRやブランディングに関する仕事、もう1つは新規事業や新商品開発など新しいものを作っていく仕事です。今まで出会った方たちがお仕事を紹介してくださり、これまで経験してきたコーヒーやリテールとは違う分野の事業に関われることが新鮮で楽しいですね。ブルーボトルにも引き続きアドバイザーという立場で携わっています。まだ起業したばかりなので、まずはきちんと利益を出していけるように、地に足を付けて取り組んでいきたいです。新型コロナウイルスの影響でいったん帰国して、そのまま日本で仕事をしていますが、クライアントは国内外様々なので、今後感染状況が落ち着いたら、拠点はどこでも良いかなと思っています。

各分野のプロフェッショナルと協働しキュレーションして価値を生み出す

仕事において大切にしていることを教えてください。

仕事をする上でいつも根底にあるのは、「期待に応えたい」という思いです。お金をいただいて仕事をするからには、やっぱり期待以上の成果を出したい。その繰り返しでここまでやってきたように思います。ただ、期待値が不明確だと走れないので、クライアントが何を求めているのか、しっかりと話し合ってすり合わせをするようにしています。仕事のスタイルとしては、リーダーとしてみんなを引っ張っていくというよりは、キュレーションしていくようなイメージ。様々な道のプロフェッショナルの人たちに携わっていただきながら一緒に形にしていくので、それぞれの持ち味を引き出して良いものを作ることをずっと意識してきました。思い返してみると、学生時代もゼミ旅行のスケジューリングを担当したり、秘書のアルバイトをしたりと、人のサポート役をすることが多かったですね。そういった役割に喜びややりがいを感じるタイプなのかもしれません。

卒業後も関学生とのつながりはありますか?

広告代理店にいる同級生と一緒に音楽とコーヒーにまつわるイベントを手がけたり、人材エージェントで働いている同級生に求人の相談をしたりと、仕事上でも様々な関わりがあります。会社を経営している関学生も多いので経営者としての集まりもありますし、ゼミ仲間で集まることもあります。大学での人との出会いは財産だったなと、卒業して改めて感じますね。関学の同窓会には海外支部がたくさんあるので、私がサンフランシスコにいた時にはサンフランシスコ・シリコンバレー支部の集まりに参加していました。1人で住んでいたので、会社以外のつながりができるのがすごく心強かったしうれしかったですね。シアトルにいた同級生が、「西海岸を盛り上げよう」と各支部をつなげてオンラインで勉強会を開催してくれたこともありました。海外でも関学生のつながりができるのが面白いですね。

My History

私の成長年表

関西学院大学の後輩へメッセージ

失敗しても良いので、何事も自分でやってみることが大事だと思います。何でもインターネットで調べられる世の中ですが、調べただけでわかった気になってしまったり、怖くなって一歩踏み出せなくなったりするのはもったいない。みんながこう言っているからとか、本に書いてあるからとかじゃなくて、自分でやってみて体得しないと、本当の意味では理解できないと思います。私も仕事で大変なことや失敗も経験してきましたが、そうやって自分自身で体得することを大切にしてきました。若い時にはたくさん失敗したら良いと思うので、ぜひ何でもチャレンジしてみてください。