Profile

2011年に関西学院大学教育学部へ進学。卒業後、2015年に長年の夢でもあった大相撲入りを果たす。その後右膝に大怪我を負い一時は序二段へ降格するも、2021年に幕内復帰。これからの活躍がますます期待されている。

怪我を乗り越え、さらなる高みを目指す関西学院大学初の力士。

2011年に関西学院大学に進学し相撲部に所属、2015年から大相撲の力士となった宇良和輝さん。在学時は、2011年に全国学生相撲個人体重別選手権65kg未満で優勝、2013年には第2回世界コンバットゲームスの相撲・軽量級で金メダルを獲得するなど好成績を収めています。しかし宇良さんの相撲人生は決して楽な道のりではありませんでした。小柄な体格に悩み、レスリングへ転向した中学時代。相撲を始めて3か月の相手に敗北し屈辱を味わった大学時代。そして、2017年には右膝の大怪我を負ったことが原因で幕下へ降格。様々な壁にぶつかりながらも、周りの支えを受けながら努力し続け、2021年の7月場所でついに幕内復帰を果たします。今回は、たくさんの困難を乗り越え今もなお力士として躍進を続ける宇良さんに、関西学院大学在学中の思い出や力士としての想いをお聞きしました。

偶然の出会いをきっかけに始まった相撲人生

相撲を始めたきっかけを教えてください。

相撲に初めて触れたのは4歳の時です。姉がわんぱく相撲の試合に参加することになり、姉を応援していた僕も出場の機会をいただきました。その際土俵に上着を忘れてしまい後日取りに行ったのですが、相撲を習いに来た子どもだと勘違いされてしまって(笑)。当時4歳だった僕は訳も分からないまま、気づいたらまわしを締めて稽古に参加していました。毎日の稽古はとても厳しい一方で、体が小さい僕は試合で負けてばかりでした。思うようにいかない状況に苦しみ、中学生の時には一度、体重別で試合があり小柄な自分でもチャンスがあるレスリングへ転向しました。しかし結局レスリングでも思うように結果を残すことができず、これからどうしようかと悩んでいた時に母校である鳥羽高校の先生が「もう一回相撲をやってみないか」と声を掛けてくださったんです。もうこの道しかないと相撲に戻り、再開してからは相撲一筋の生活を送っています。

関西学院大学への進学を決めた理由を教えてください。

高校時代の相撲部の監督が、「小学校の教員に向いているのでは」と関西学院大学の教育学部を勧めてくださったことがきっかけです。体が小さく弱かった僕は高校生の稽古相手にもならず、土日には小学生を相手にしながら練習していました。先生は子どもと接している僕を見て、教育学部への進学を勧めてくださったのだと思います。高校卒業後は就職を考えていたのですが、せっかくチャンスをいただいたのに進学しないのはもったいないと考え、関学へ入学する決心をしました。4年間を振り返ってみると、本当に良い大学で学生生活を送れたと思います。1、2年生の時は学業に専念していたのですが、学びに関して不満を感じたことはありません。興味のある分野を自由に学びながら、教員免許まで取ることができて、関学を選んで正解でした。入学前は関学のことを全く知らなかったので、周りの先生方が「関西学院大学に入学するチャンスがあるなんてすごい」とざわついていたのが印象的だったのですが、今になって考えると先生方の反応に納得できますね。進学の機会をいただけたことは本当にありがたいことでした。

関西学院大学相撲部との出会いが「相撲の楽しさ」を知り、
本気で取り組むきっかけに

在学中は相撲部でご活躍されていましたね。小柄な体型をカバーするために行った工夫はありますか?

とにかくご飯をたくさん食べるよう心がけていましたね。実は僕は小食で、食べることがあまり得意ではないんです。大学1年生の時は、相撲部員で共同生活し、晩御飯を共に食べるだけであとは何も食べない生活を送っているとみるみる体重が落ちてしまい、入学当初85kgあった体重が1年生の7月には65kgになっていました。本格的に体づくりを始めたのは20歳頃からです。2年生の頃までは学業優先の大学生活を過ごしていたので、体重が落ちていることもあまり気にしていませんでした。むしろ小柄な体格を生かそうと思い、1年生の時に全国学生相撲個人体重別選手権65kg未満級に出場し、優勝することができました。転機になったのは2年生で参加した西日本学生個人体重別選手権。65kg未満級で参加したのですが、相撲を始めて3か月の1年生に負けてしまったんです。初心者に負けるということは4歳から相撲を続けてきた僕にとってあまりにショックで、残りの1年半は相撲に全力を注ぐ決心をして肉体改造に取り組みました。この一連の出来事は、相撲人生の大きなターニングポイントだったと思います。現在は学生時代と比べ体重も増え体もかなり大きくなりましたが、周りと比べるとまだまだ小柄です。また2017年の秋場所で負った右膝の怪我もあるので、ハンデをカバーするためにできるだけパワーをつけようと今でもご飯をたくさん食べるように意識しています。食以外にもトレーニングを毎日朝と昼の空いた時間にも行うようにして、少しでも筋力がつくような生活を心がけています。

宇良さんにとって相撲部はどのようなところでしたか。

相撲部はとにかく自由で、部員の意志や自主性を尊重してくれる部活でした。僕が2年生まで学業に専念できたのも自由に行動できる雰囲気があったからだと思います。特に、小学校から高校まで厳しい稽古を続けてきた僕にとって、勝利というプレッシャーがない環境で取り組める相撲は非常に新鮮でした。夏休みの合宿の日にうっかり別の予定を入れてしまったときは監督にこっぴどく叱られましたが(笑)。相撲部の自由さは僕にとって「相撲の楽しさ」を知る良いきっかけになったと思います。相撲部に入らなければ、力士になることもなかったんじゃないかなと。当時関学を勧めてくださった先生や先輩には本当に感謝しかないですね。また相撲部は自主性が身に付く場所でもあります。部活をする中で何かを強制されることはなかったですが、その分自分で考えて行動する必要がありました。試合に勝ちたいと思うなら、勝つためにするべきことをとにかく自分で考える。体づくりもまさしく自主的に行ったことで、「たくさん食べる」「筋トレをする」などの目標は自ら立てて達成していきました。この自主性はプロとして稽古を重ねる今でも十分に役立っていると思います。

小柄な体格、右膝の大怪我
様々な困難の果てに至った力士としての想い

2017年に負った右膝の怪我で、大変な苦労があったと思います。どのように乗り越えられましたか。

これまでで一番大きな怪我だったので、恐怖心がかなり強く、乗り越えるのは本当に大変でした。相撲を続ける上で怪我は付き物ですが、何年も土俵に上がってきた今でも全く慣れません。特に僕が所属している木瀬部屋の力士はエリート校出身の人たちばかりで、就職を意識して学生生活を過ごしていた僕とは見てきた世界が違います。常に「化け物と戦っている」「怪我をするかもしれない」という気持ちとの戦いですね。それでも恐怖を乗り越えられてきたのは、間違いなく周りの支えのおかげだと思います。怪我をして序二段に降格してしまったときも、いろいろな人が支えてくれたことが救いになりました。相撲に限らず一度落ちてしまうと周りから人が去ってしまうこともあると思いますが、自分の周りは優しい人たちばかりだったので幕内復帰まで諦めずに続けてこられたのだと感じています。

相撲をする上での心構えを教えてください。

常に「取組では今の自分の100%を出し切る」という心構えで土俵に上がっています。関学時代、65kg未満級で1位になり、第2回ワールドコンバットゲームズ相撲軽量級では世界一になりました。貴重な経験ではありますが、大相撲の世界で通用するものではありません。学生時代とは全く別の世界なので、世界一を取ったからといって実績と見なされることもありません。僕の考えに対して「謙虚ですね」と言っていただくこともありますが全くそのようなことはなくて、今でもまだまだ周りに圧倒されています。僕には身長や体重があるわけではないので、どんなに上を目指しても限界があり、横綱になれるかと聞かれても、考えることすらおこがましいことです。だからといって、体格を理由に諦めたくない。4歳からずっと相撲をしていて、僕にはこの道しかありませんから。今の僕にできるのは、持てる力を最大限発揮して、少しでも多く白星をあげることだけです。

My History

私の成長年表

関西学院大学の後輩へメッセージ

自由な環境で純粋に好きなことを楽しめる場を、ぜひ後輩の皆さんにも堪能してほしいです。教員免許を持っていることもあり、過去に一度だけ力士以外の人生について考えたことがありますが、結局この道以外選べませんでした。ここまで相撲に打ち込められるようになったのは、関学の相撲部に出会えたおかげです。入学のきっかけは監督に勧めていただいたことでしたが、僕にとって関学への進学は相撲人生の大きなターニングポイントとなりました。きっと後輩の皆さんにも何か気づきを与えてくれる場所だと思うので、力みすぎず、自分のやりたいように学生生活を楽しんでください。