与えられた自由の中で、選び取った覚悟の道。
自分を支えてくれる人たちに音楽で応え続けたい。
現代のロックシーンを牽引する存在として、若者を中心に絶大な支持を集める「THE ORAL CIGARETTES」。そのボーカル&ギターを務める山中拓也さんは、高校時代からバンド活動を始め、関西学院大学経済学部在学中の2010年に「THE ORAL CIGARETTES」を結成されました。大病を経験しながらも、緻密に戦略を立てる冷静さと、人の心を揺さぶる熱意で第一線を走り続ける山中さん。2021年には、その人生観を紐解くエッセイ『他がままに生かされて』を出版されています。今回は、大学時代の思い出や音楽の道を選んだ決意、そして活動を支える信念についてお話を伺いました。
夢を肯定してくれた先生や友人とのかけがえのない出会い
関学時代の思い出について教えて下さい。
とにかく自分のやりたいことに突き進んだ大学生活でした。高校時代からバンド活動を始め、大学1・2年次にはライブツアーを実施。学業との両立は大変でしたが、自由度の高いカリキュラムのおかげで、計画的に履修することができました。そしてなにより、自分で選んだことだと思うと、試験期間など大変な時期も乗り越えられました。第二言語の中国語は小テストが多く苦しめられた記憶がありますが、のちにバンドで中国ツアーを行った際にはこの経験が大変役立ちました。人生なにが活かされるかわからないものですね(笑)。
関学では様々な出会いがあり、学部を越えてたくさんの友人ができました。学内のクラブ・サークル活動に励む友人もいれば、僕のように学外で何かに打ち込む仲間もいて、互いに応援し合える関係が活動の励みになりました。毎日の楽しみは、友人と「東京庵」でお昼ご飯を食べること。キャンパスで友達と過ごした時間や場所、そこで交わした何気ない会話…。大人になっても思い出として心に残るような経験を得られるのは、とても素敵なことだと思います。また、リーダーを務めていたゼミの活動も、大学生活の貴重な経験の一つです。指導教官である田中敦教授には、色々なことを任せていただきました。先生は僕の発表を「話し方が上手い」とよく褒めてくれて、それが人前で話す仕事への自信につながったことを覚えています。ゼミ生の多くが銀行などの企業への就職をめざす中、音楽の道へ進みたいと伝えたときも、「自分でしっかりと責任を持って、やりたいことをやりなさい」と静かに背中を押してくださいました。学生一人ひとりに寄り添い尊重してくれる先生や、共に過ごした友人たちとの出会いこそ、僕が関学で得た一番の財産だと思います。
人のために歌うことが自分の生きる道
ミュージシャンになる決意をされた時のことを教えてください。
大学3年生でちょうど周りが就職活動を始める頃、一般企業への就職も考えましたが、自らが主体となって何かを動かす人生を送りたいという思いが強かったので、それなら音楽の道がいいなと。学生ながらにツアーで全国を巡る中、ライブハウスのオーナーや他のバンドマンたちと多くの出会いを経験しました。そこで築かれた関係は、損得で測れるものではなく、人間性や音楽性でつながった純粋なもの。「音楽の世界で出会えた人たちと、この先も関わりながら人生を歩んでいきたい」と強く思えたことは、プロをめざす大きな動機となりました。音楽って結構がむしゃらにやる人もいるのですが、僕たちはしっかりとビジョンを持つことを徹底してきました。2年ごとに大きな目標を掲げ、そこから逆算した具体的な道筋を、緻密にスケジューリングしてメンバー間で共有。すると、漠然としていた夢が達成可能なリアルな目標に変わっていきます。こうした計画性は、受験勉強や大学での授業・試験に取り組む中で培われたものです。
音楽を生業とすることに対して、やはり親には猛反対されました。勘当同然の形で実家を出ましたが、不思議と不安はなかったです。大学に進学した以上、卒業は絶対にしようと決めていましたし、何より「認めてもらいたい」という思いが、夢を追い続ける力になりました。親の反対があったからこそ、ここまで頑張ってこれたと感じています。親がどんな想いで子どもの進路に向き合うのか、理由さえあれば受け入れるのも反対するのも、どちらも正解かもしれません。今では、大学に通わせてくれたことはもちろん、僕のためを思って反対してくれたことにも、本当に感謝しています。
ロックシーンの第一線を走る中で、支えになっているものは何ですか。
壁にぶつかった時は、「これは天が僕に与えた試練だ」と考えるようにしています。何もしなければマイナスで終わるけど、本気で向き合えば必ずプラスに変えることができる。前向きに考えられるようになったのは、20歳の時に大病を患った経験が影響しています。一時は生死の境をさまよい、死を覚悟した僕にとって、今生きている時間は人生のボーナスタイムだと思っています。「生かされたからには、きっと自分にしかできない役割がある」という想いが強くなりました。自分が苦しかったこと、乗り越えたことを曲に乗せて届けることで、誰かの心を照らせるようなライブをし続けたいと考えています。
バンドメンバーの存在も、僕にとって大きな原動力です。20代の頃は、やりたいことを突き通すことに必死で、何でも自分でやらないと気が済まなかった。それがバンドの推進力になっていた部分もありますが、今思えば僕の独りよがりな部分を、懐の広いメンバーが支えてくれていたのだと思います。30代になってそのことに気づくことができました。例えばギターの旋律一つとっても、「これしかない」と凝り固まらず、メンバーが出してくれたアイデアをまずは試す。すると新しい発見があり、結果的により良いものが生まれることもあります。やってみなければ、その選択肢すら生まれない。こうした経験を通して、自分は周りの人に生かされているのだと、心から思えるようになりました。人生は選択の連続で、後悔することもあります。それでも、周りの人やファンがダサいと思うことだけはしないと心に決めています。
たくさんの選択肢に悩んだ経験が、一つを選ぶ「強さ」になる
最後に関西学院に通う後輩へメッセージをお願いいたします。
「これだ」と思えることにまっすぐ邁進できる人生はもちろん素晴らしいです。一方で僕自身は、大学に進学し、多くの選択肢があった中で、最終的に音楽の道を選びました。一つを選ぶということは、それ以外の可能性を捨てること。迷いながらも選ぶという経験が、のちの人生においても大きな力になります。やりたいことが見つからずに悩んでいる人がいたら、まずは色々と挑戦してみてください。それが、人生を決断する力につながるはずです。そして、大学生活で得た経験や出会いは必ず未来に影響し、人としての深みになっていきます。関学卒の後輩の皆さんと、一緒に仕事ができる日が来ることを楽しみにしています。
夢を応援してくれた祖父
祖父は、バンドをやりたいという夢を最初から応援してくれました。人との関係さえ大事にしていれば、リスクのあることでもやってみれば何とかなるというのが祖父の考えでした。人に親切にすること、人間性を磨くことの大切さを教えてくれて、本当に感謝しています。
洋服
関学入学後、周囲の人が皆おしゃれで驚きました。それまで着るものにあまり頓着していなかったので、軽いカルチャーショックでしたね。それから洋服に気を遣うように。思えば、今のファッションに変化するきっかけでした。
関学のチャペル
ある日の夕方、チャペルで聞いた讃美歌に心を奪われました。音楽が持つ空気感や歴史的背景の重み、そして自分にはあまりなじみのなかった「祈る」という文化との出会い。それらがとても新鮮に感じられ、印象的だったのを覚えています。当時はロック一筋でしたが、このときの衝撃は、僕の後の音楽づくりに確かに影響を与えています。
