仕事に対し全力を尽くす姿勢と周囲への感謝の気持ちが築いたキャリア
1983年に関西学院大学経済学部を卒業された百北幸司さん。阪神電気鉄道に入社し、約20年間旅行事業に従事されました。海外赴任を経験し、広報室部長、社長室部長などを経た後、2013年にエンタテインメント事業やスポーツ事業を手掛ける阪神コンテンツリンクの代表取締役・社長に就任。阪神タイガースや甲子園球場のプロモーションに深く関わっていきます。2016年からは阪神電気鉄道取締役、スポーツ・エンタテインメント事業本部長、阪神タイガース取締役などを兼任。2019年阪神電気鉄道常務を経て、2021年に阪神タイガース代表取締役社長に就任、2023年には阪神タイガースの38年ぶりの日本シリーズ優勝を支えました。現在は阪神コンテンツリンク代表取締役・取締役会長、阪神タイガース相談役を務める百北さん。今回は大学在学時の思い出や仲間との出会い、そしてこれまでのキャリアと仕事にかける思いについてお伺いしました。
かけがえのない仲間とサークルを立ち上げた青春時代
関西学院大学在学時の思い出について教えてください。
高校生の頃、関西学院大学の学園祭を訪れ、学生たちの活気ある雰囲気や綺麗なキャンパスに惹かれたのが入学したきっかけでした。学生時代の思い出で特に印象に残っていることはサークル活動。中学からテニスをしており、入学当初は既存のテニスサークルに入りました。学生生活を過ごすうちに自由な活動がしたいと考えるようになり、クラス制の授業で意気投合した友人たちと、1年生の夏に新しいサークルを設立。テニスをプレイすることを主な活動としながら、スキーなどのレクリエーションも行いました。部員がどんどん増え、私たちの卒業後もサークルは20年ほど存続したようです。友人たちとはとても仲が良く、授業のない時間はいつも一緒にいました。友人の住んでいる寮によく行っていて、そこでも先輩・後輩関係なく交友関係が広がりましたね。当時キャンパス内にあった喫茶部に集まって昼食をとったり、雑談をしたりしていたこともよく覚えています。学生時代の友人は一人ひとりがかけがえのない存在です。彼らとは今でも連絡を取っていて、定期的にゴルフや忘年会などを企画してくれるので、顔を出せる時には参加しています。この年齢になっても関係が続いていて、会うことができるのは本当にありがたいことだと感じます。
様々なポストを経験し、数多の重要な局面を乗り越える
卒業後は阪神電気鉄道に入社されています。
関西の会社で、事業の幅が広く、公共性が高かったことから阪神電気鉄道に入社しました。入社後は旅行事業を行う部署に所属。サークルで部員をまとめて先導したり、合宿などを計画した経験が活きたと感じます。関西で6年間営業職に従事した後、東京へ転勤になりました。転勤先では、パッケージツアーの企画や販売と、ホテルやレストランの仕入れを担当。取引先をまわる中で阪神タイガースや甲子園球場は東京でも有名かつ人気があることを感じ、ブランド力の高さを実感しました。特に馴染みのない土地でビジネスを行っていく上で、このブランド力には何度助けられたかわかりません。東京で経験を積み、38歳の頃、ビアヘス阪神代表取締役・社長に任命されてローマへ赴任します。約3年、現地でホテルなどの仕入れに携わりました。イタリア語はほとんど話せない状態で渡航しましたが、現地スタッフの手も借りながら日々を過ごしているうちに、自然と日常会話で必要な語彙は身についていきました。現在の阪神電気鉄道で海外駐在を経験している人はほとんどおらず、貴重な経験をさせてもらったと感じています。帰国後2年ほど東京で勤務し、大阪の本社へ戻ることに。入社から約20年間旅行業に携わりました。
本社へ戻られた後はどのようなお仕事をされましたか。
2003年に社長室へ配属され、関連会社の数字管理を担当しました。7月の異動で本社に戻り、9月に阪神タイガースが18年ぶりのリーグ優勝を果たして、かなり盛り上がったのが印象に残っています。2005年には広報室所属に。この年はもともと阪神電気鉄道の100周年事業があったのですが、阪神タイガースがリーグ優勝し、忙しさに拍車がかかりました。翌年2006年には阪急ホールディングスとの経営統合も経験。広報室では約4年間を過ごし、対外的な広報はもちろん、社員に対する適切な情報開示など社内的な広報にも注力しましたね。その後、秘書部長になり、5年間阪神電気鉄道の会長・社長の秘書を務めます。当時の会長は阪神タイガースのオーナーも兼任していたので、甲子園にも何度も訪れましたし、球団の遠征にも同行しました。2013年には阪神コンテンツリンク代表取締役・社長に就任。阪神コンテンツリンクはエンタテインメント事業やスポーツ関連事業を手掛ける会社で、この頃から阪神タイガースと甲子園球場のプロモーションや音楽事業に深く関わっていきます。2016年から6年間は阪神電気鉄道のスポーツ・エンタテインメント事業本部長を務めました。その間、阪神電気鉄道の取締役や、阪神タイガース、六甲山の観光事業を行う会社、フィットネス事業を行う会社などの取締役も兼任。2019年には阪神電気鉄道の常務になりました。本部長を務めた期間で最も印象に残っているのはやはりコロナ禍のこと。2020年に新型コロナウイルスが蔓延し、私が関わる事業はどれも大きな影響を受けました。野球も音楽も会場に足を運び、リアルで体感してこそのもの。ライブハウスやフィットネス施設はクラスター発生の懸念もありました。甲子園での試合も満足にできず、苦しい時期でしたが、何とか乗り越えることができたのは各現場で尽力してくれたスタッフのおかげですね。
常に心の中にあるのは
球団を支えるファンや職員への感謝の気持ち
その後阪神タイガースの代表取締役社長に就任されたのですね。
旅行業務で長く営業系の仕事をしていたことや、オーナー秘書の頃から10年以上野球事業に関連する業務に就いていたこと、6年間スポーツ・エンタテインメント事業に関わってきた経験から任命されたのだと考えています。球団運営にはベースボールオペレーションと、ビジネスオペレーションという2つの側面があって、前者はチームをいかに強く編成し、育成して、優勝できるかという野球そのものの戦略を練る仕事。一方で、私が主に関わってきた後者は会社として営業的に利益を確保する仕事です。球団のファンやスポンサー、ヘルメットやユニフォームに広告を出してくれる企業など、幅広いお客様と関わってきました。
私は野球経験者ではないので、野球のことはその道を極めてきたプロに任せてきました。かつての野球選手がマネージャーやスコアラーとして引退後もチームに貢献してくれている姿も見てきて、球団を支える関係者にとって働きやすい環境をいかに整えられるかということを常々考え業務にあたってきましたね。
2023年には阪神タイガースが38年ぶりに優勝を収めました。
優勝時の感想をお聞かせください。
最初に感じたのは、これまでチームを支えてくれたファンの皆さまに対する感謝です。長く間接的・直接的に野球事業に関わってきた中で、ファンの方の存在の大きさを強く感じていたため、お待たせしましたという気持ちでした。また、多くの人に愛される阪神タイガースブランドに長く携わってこられたことに対しても非常にありがたいと感じています。2025年は球団にとって90周年という節目。阪神タイガースのブランド価値が今後も長く保たれ続けることを強く願っています。
関西学院大学の後輩へメッセージ
キャリアにはどのような経歴を積めばこうなれるというような決まったルートがありません。企業規模などにこだわらず、自分の思う道に進んでいけば良いと思います。一方で、長く生きる上では自分の思い通りにならないことも必ずあるでしょう。私自身、入社した頃は旅行事業に携わりたいとは全く考えていませんでした。そんな時、挫けず、どのような環境においても、自分に与えられたことを全うしていくことが大切だと思います。そうすることで未来がひらけていくものです。