中澤 さかなさん

中澤 さかなさん

1980年 文学部卒業

50歳を越え、自分の損得よりも、
「地域のために」という想いが
強くなってきました。

学生時代に打ち込んでいたことを教えて下さい。
目立たない存在でした。成績も中の下。3年生から大嶋ゼミに所属し、漁撈民俗学に興味を持ち、いろんな漁村や魚市場に出かけていました。卒論「紀州雑賀崎一本釣漁師の生活誌」は、卒業2年後の西日本漁業経済学会(現 地域漁業学会)で、論文発表の栄に浴しました。
学生時代で最も思い出に残るできごと、エピソードについて教えてください。
多くは無いですが、一生付き合える友人に出会えたことでしょうか。
学生時代の友人と今でも会いますか?どれくらいの頻度で会っていますか。
友人のうち1人とは定期的に会っています。当職は山口、彼は京都なので、3ヶ月に一回程度。出張先の首都圏や広島あたりで。会話の内容は、一緒に関っている地域活性化案件など仕事の話・子供たちの進学や就職など家族の話が中心。
卒業後、キャンパスを訪れたことはありますか?また訪れたいと思いますか?
なかなか機会が無いですが、3年前に卒業30周年のゼミ同窓会で訪問しました。当時とほとんど変わっていない美しいキャンパスでした。
“Mastery for Service” を意識することはありますか?それはどんなときですか?
大いにあります。山口県内の市町村新入職員(約80名~120名)向けの研修講師をかれこれ10年間努めていますが、新入職員が一所懸命仕事を覚えスキルを高めるのは、「住民や地域に奉仕するために学ぶ」、「役人とは世の中の役に立つ人」といった感じで、“Mastery for Service”を引用しています。地元中学校や高校の職業講話も毎年担当していますが、「何のために勉強するのか」という答えに、“Mastery for Service”を使わせてもらっています。内閣府や総務省・農水省から「地域活性化伝道師」「地域力創造アドバイザー」「6次産業化プランナー」の任命を受け、全国各地の水産業振興に関っていますが、私自身も齢50を越えて、自分の損得や金儲けよりも、「地域のために」という想いが強くなってきています。
関西学院を卒業して良かったと思いますか?どのような点が良かったですか?
誇りを持てる母校であること。OBにガツガツしたみっともない人物があまりいない事。
現在の仕事について教えてください。
20年勤めた(株)リクルートを退社後、萩市「道の駅/萩しーまーと」の駅長を努めています。またその傍らで地域活性化伝道師・地域力創造アドバイザーとして、全国各地の地域活性化案件を担当しています。
リクルートから萩市への転職は、①都会での厳しいビジネスに疲れ果てた事 ②都市部でのバーチャルな仕事に虚無感を感じていたこと ③好きな水産分野での仕事がしたかった事 ④子供たちを自然豊かな地域で育てたかったこと ⑤世の中や人のために役に立てている状況を実感したかったこと などが転職の理由です。
現在の目標について教えてください。
定量的な目標はありません。地域活性化伝道師として、全国津々浦々の漁村地区が元気になるお手伝いを、自分も無理をしない範囲であと10年程度継続できればと考えています。その後は、担当させて頂いた全国津々浦々の市町村を、家内と一緒に順繰りに旅して、旨い魚と地酒で旧交を温めるような余生を送ることができれば最高です。これまでに担当させて頂いた地域は、北は小樽市から南は佐世保市まで20市町村くらい、50市町村ぐらいまで増やせればと思います。
関西学院のキャンパスで思い出に残る場所があれば教えてください。
特にありません。
もう一度大学生活をやり直せるとしたら、何をしますか?
あまりやり直したいとは思いません。
これからの関西学院に期待することがあれば教えてください。
「ノブレス・オブリージュ」。志清くガツガツしない人材を育ててください。