OG・OB INTERVIEW

OG・OB INTERVIEW

小学4年生からショートトラックを始めた横山さん。
関西学院中学部時代に国際大会に出場し、その後、関西学院大学体育会スケート部に入部しました。在学中の2014年に全日本選手権で初の総合優勝。
着実に力をつけ、2018年2月には平昌冬季五輪に日本代表として出場を果たしました。
ショートトラックの選手として日本トップレベルの実力をもつ横山さんに、学生時代の思い出やこれからの目標などについてお話をうかがいました。

― 横山さんは小学生の頃にスケートを本格的に始めたそうですが、どのようなきっかけでスケートに目覚めたのですか。また、スケートに夢中になる中で、進学先としてなぜ関西学院中学部を選ばれたのでしょうか。

 実は小さい頃、水泳や体操、ピアノなどいろいろな習い事をしていて、その中で特に芽が出たのがたまたまスケートだったという感じですね。僕は香川県出身ですが、1歳のときに神戸へ引っ越して、小学生の頃からポートアイランドのスケート教室に通っていました。そこでスピードを出して滑っていると、コーチから「そんなに速いんだったら、スピードスケートをしてみたら」と誘われました。それまでのスケート教室では出せなかったスピードで思いっきり滑ってみたら、すごく気持ちが良くて、純粋に楽しい!と感じ、どんどんのめり込んでいきました。
 関西学院をめざしたのも、スケートがきっかけなんです。ポートアイランドのリンクでは、小学生から大学生まで一緒に練習をする機会があり、関西学院大学のスケート部のメンバーもいました。その人たちが僕の前を実際に滑ってみせて、リレーの交代時にプッシュをもらいに行くタイミングを教えてくれたり、いろいろと面倒を見てもらいました。やさしくて、しかもスケートも速くて…「こんなふうにカッコよくなりたいなぁ」と、関学生へのあこがれをもちました。また関西学院は一貫校ということもあり、受験勉強の面でも競技に集中しやすい環境だと思い進学を決めました。

― 中学部・高等部時代は地元のスケートクラブで練習され、大学のときにスケート部に入部されたそうですが、地元のスケートクラブと大学のスケート部とではどのような違いがありましたか。

 そうですね、「個人」と「チーム」という大きな違いがありました。中学部・高等部のときはほとんど個人で練習していて、大阪府や他県のスケートクラブの練習に参加させていただき、武者修行のようにいろいろなコーチの指導を受けました。さまざまなことを吸収しながら、自分に合った練習方法を見出して自分のペースでレベルを上げていきましたね。その成果として、中学部のときには国際大会に出場でき、大きな自信につながりました。高等部でも引き続き、ナショナルチームや他府県の強化練習に積極的に参加させていただきました。
 だからこそ、大学でスケート部に所属して「個人」から「チーム」になったことで、大きな戸惑いがありました。僕は単独行動が多かったので、先輩にいろいろなことを指摘されたんですよ。「ほかのクラブチームへの練習に参加するよりも、ミーティングなどの部活行事を優先してほしい」とか「自分のレベルではなく、チームの仲間の選手のレベルに合わせた練習内容にするべき」とか。今までの「個人」の練習に慣れていただけに、本当はこうしたいのに…と思うことがたくさんありました。正直、最初はわずらわしさすら感じていましたね。

― 個人の練習でしっかり結果が出せていたぶん、当時の横山さんはチームで練習する意味になかなか気づけなかったのでしょうか。

 そんな僕の性格を見越していたのか、高等部のときから昨年まで指導していただいていたナショナルチームの神野由佳コーチにはつねづね「愛される選手になりなさい」と言われていました。高等部時代にはそれがどういう意味なのか理解できませんでしたが、大学の経済学部の授業でマックス・ヴェーバーの「天職」を学んだときにつながりました。「天職」というのは、神から与えられた使命という意味も込められているそうです。プロテスタントにとっては、自分が生きている社会で勤勉に働くことが神の意志に最もかなうことになる、と。
 じゃあ僕にとって、天職って?この使命をどうやったら果たせるんだろうか?スケートを懸命に頑張ることは、誰にとってどんな意味がある?何かに還元できているんだろうか?いろいろ考えたとき、スケートで僕ができることってたくさんあると気づいたんです。部活のみんなには自分のもっている知識やスキルを還元できる。そして、応援してくれている人には練習して結果を出すことで、感動したり、喜んでもらえたりする。
 今まで自分に対してしか向けられていなかった視界が、急に広がっていったような気がしました。神野コーチの言った「愛される選手になりなさい」とは、「独りよがりにならず、人に良い影響を与えられる選手になりなさい」ということなのかもしれない。アスリートとしてこれからスケートをしていく上での「なりたい姿」が見えました。あとからよくよく考えてみると、これって実は、練習(Mastery)して、結果を出すことが人に感動や喜びを与えられる(Service)という、関学のスクールモットー“Mastery for Service”にも紐づいているんですよね。

平昌冬季五輪試合風景

個人で結果を出すことが、
チームの力に。みんなのために、強くなりたい。

― 大学生活での出会いや学びが、「みんなのために」と横山さんの考え方を変え、成長させてくれたのですね。この気づきのあと、チームのメンバーにはどのように接していきましたか。

 たとえば部活の練習に、僕がナショナルチームの強化合宿などで得たスキルや最先端のトレーニングメニューを取り入れるようにしました。各種目を想定したインターバルによって、疲労が溜まっていても勝負所でトップスピードを出せるようにする「インターバルトレーニング」や、コース取りのときの左足の使い方など、実際に僕が目の前でやってみて一人ひとりに教えていきました。
 そういった指導をしていくことでチーム全体が少しずつ変わっていく様子を見て、僕も刺激を受けました。実は関学のスケート部って、半数近くが競技未経験者だったりするんです。ですが大学の総体インカレなどは、チームのポイントで順位が決まります。経験者を集めている他大学に対し、経験で劣る自分たちがどれだけ勝負を挑んで勝てるか。高い目標がチームを団結させていき、また僕自身もみんなで挑む楽しさや仲間という存在の大切さを感じるようになりました。

― 仲間の存在が、横山さんの原動力の一つになったのですね。一方アスリートとして、勝つということを重要視されているようですが、「勝ちにトコトンこだわるタイプ」だからこそ経験した悔しさやスランプなどはありますか?

 大学3年生のときには全日本選手権で総合優勝をしましたが、翌年度は出場したワールドカップで怪我をしてしまい、その年の全日本選手権の結果は15位とかなり不調でした。そのときは怪我が原因なのかと思っていましたが、その後も調子は戻らず、とても焦りました。練習量を増やしたり、個人的に海外へ合宿に行ったり、できることをしてみましたが、変わらずまったく結果が出ないまま。さすがに自信を失いかけました。そんな僕の様子に気づいていたのか、チームメンバーは「横山なら大丈夫。お前は強い」といつも声をかけてくれたんです。もう無理かもしれないと思う日もありましたが、周りの支えもあったから何とか逃げずにスケートと向き合えたのかもしれません。
 そうしている間に、4年生最後の大会「ジャパントロフィー」の日がきました。最初の1500mは決勝に進むも5位、次の500mは準々決勝で敗退。翌日の1000mは準決勝まで進みましたが失格に終わりました。そして残すは3000mスーパーファイナルだけに。このレースは、大学生活最後のレースでした。関学生として、スケート部として、そしてこの仲間と一緒に喜びを分かち合えるのも、この3000mで最後なんだ。悔いを残さず、思いっきりやろう。会場を見渡すと、声援を送ってくれる仲間や観客の方の顔が目に入り、そう心に決めました。
 3000mは距離が長いぶん、出だしから速いスピードを出す選手はそう多くいません。だからこそほかの選手の不意を突いて一気に差をつけよう、心を落ち着かせようと目を閉じると、スタートの音が聞こえました。その瞬間、自分でも驚くほど飛び出すことができ、とにかくそのまま滑りました。普通はライバルを一周抜いたら一安心という感じですが、「まだまだやれる。やれるところまでやってみよう。何かしてやろう」と体を前へ前へと進めました。そうしてフィニッシュ。気がつけば、後続集団に2周半の差をつけていました。
 「スケートってこんなに楽しいもんやった!」レースが終わったあとには、走るよろこびを体中に感じました。今までと何が違ったか。きっとそれまで僕は悪い意味で勝ちにこだわりすぎてしまっていて、「勝たないといけない」という強迫観念に押しつぶされていたんです。悪い結果が出て、ガムシャラになって、余計ダメになって。いつの間にかスケートが楽しくなくなっていました。ですがその日、勝利を自分のことのように喜んでくれる人たちの姿を見て、スケートを思いっきり楽しむことが、人に良い影響を与えられる。そんな選手であり続けたいといっそう強く思いました。卒業した今でも、あのときの感覚や気持ちを忘れることなく、スケートに取り組んでいます。

スケート靴装着

― 卒業後はトヨタ自動車スケート部に所属し、今年は平昌冬季五輪に日本代表として出場。また、世界選手権男子5000mリレーでは3位という好成績を収められていますが、大学時代と比べ何か変化がありましたか。

 自分にとって、仲間の存在がかなり大きくなりました。特に世界選手権はリレーということもあり、メンバー同士の信頼関係が結果に大きく結びつきます。ナショナルチームとなると普段所属しているチームはみんなバラバラですが、だからこそ合宿や遠征などの限られた時間の中でも仲を深められるように意識していました。お互いの調子が良いか悪いかはちょっとした表情や、レース中に交代するときのプッシュの感触からでもわかるんですよ(笑)。
 また、五輪が終わった後にリレーメンバーで話をしたときに、五輪のリレーで確実にメダルを獲るためには一人ひとりが個人種目でもメダルを獲れるレベルになる必要があるという結論に達しました。みんなが高い意識をもって練習をしていくことで、ナショナルチームの、そして日本全体のレベルが底上げされる。だから僕は個人でのメダル獲得を目標にしていますが、それは自分のためというよりチームのためにという意識が強いです。大学生のときに気づいた「自分の頑張りはみんなのために」という考えは今も息づいています。

― 先ほど“Mastery for Service”のお話がでてきましたが、中学部から約10年あまり関西学院で過ごしたからこそわかる、「関西学院の良さ」とはどういうところでしょうか。

 関学はとにかく、人のつながりが強い。中学部から大学までの教員や事務職員、OBはもちろんですが、大学3年生のときの全日本選手権ではK.G.A.A.(関西学院体育会同窓倶楽部)の方が応援に来てくださったんですよ。その方はスケート部のOBではないのですがわざわざ観にいらしてくださったようで、「スケートってこんなにおもしろくて感動するものなんだね」と言ってくれたんです。いろんな人が自分を見てくれていて、そして自分の滑りが人に感動を与えているんだと実感できました。
 また、現在所属しているトヨタ自動車にも関学のOB・OGがたくさんいて、「トヨタ弦月会」という同窓会公認団体とのつながりもできましたし、平昌冬季五輪の壮行会ではメッセージ入りの国旗をプレゼントしてもらい、選手村の自室に貼ってモチベーションアップにつなげていました。関学のつながりは、私にとって心強いものです。いつも一人で戦っているのではないと思うことができるんです。だからこそ応援される選手になって、そんな人たちに報いたいと思っています。

― では最後に、この冊子を読んでいる保護者の方へメッセージをお願いします。

 子どもにとって保護者は、自分を支えてくれる一番身近な存在です。だからどうかお子さまの「好き」という気持ちを大切にして、サポートしてあげてください。
 僕の場合、スケートにおいては父が非常にサポートしてくれました。夜、どんなに遅い時間であってもスケートの練習や試合のために地方のリンクへ車で送迎してくれたり、スケートシューズのメンテナンスまでしてくれました。また、両親ともスケート競技者ではありませんでしたが、「観るのも楽しい」と言って一緒に楽しんでくれて、客観的なアドバイスをくれました。それが本当にありがたかったし、頑張る力になりました。
 「好きこそ物の上手なれ」。保護者の方の支えがあれば、いつかきっと、お子さまは大きな花を咲かせると思いますよ。

PROFILE

横山さんインタビュー風景

横山 大希HIROKI YOKOYAMA

よこやま ひろき / 中学部、高等部、大学時代と約10年を関西学院で過ごす。大学ではスケート部に入部し、2014年に全日本選手権で初の総合優勝。卒業後はトヨタ自動車スケート部に所属。2018年の平昌冬季五輪では日本代表として出場を果たした。

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