大学時代に「好きな道」を選んだことが、人生最大の転機。

漫才日本一決定戦「M-1グランプリ2016」で優勝するなど、今後の活躍が期待される銀シャリの橋本直さん。
お笑いの道に進んだターニングポイントなど、関西学院でどんな風に過ごしたのかうかがいました。。

華やかなキャンパスライフとは無縁の学生生活

― 中学部から関西学院で学ばれましたが、どんな学生生活でしたか。

 中学部を受験したのは親の勧めがきっかけ。僕自身も、学校のパンフレットを見て「芝生がきれいだな」と思い、印象が良かったですね。入学時のオリエンテーションでは、まだ仲良くなっていないクラスメイトとメチャビー(泥んこラグビー)をしました。当時は中高が男子校だったので、男ばかりの気楽さがありました。
 部活は関西学院で伝統的なタッチフットボール部に入り、3年間熱中しました。チーム数が少なかったこともあり、全国大会で優勝も経験できました。もともとサッカーが好きでしたが、サッカー部には小学生からの経験者がいるのですぐに活躍できないかもしれず、それでは面白くない。でもタッチフットボール部なら、みんなが横一線で中学から始めるのでいいかなと。当時から冷静で慎重なタイプでしたね。

― 高等部では、どんな毎日を過ごしましたか。

 中学部は部活漬けでしたが、高等部ではのらりくらり。部活には入らず、放課後は友だちと三宮にラーメンやパフェを食べに行くなど、ふらふらしていました。特に何をするでもなく、好きなお笑いのテレビをずっと観ていましたね。
 当時の男子校だった高等部は私服で、おしゃれな生徒もいましたが、僕は女子の目がないのでファッションに気遣うこともなく“もっちゃり”したタイプ。中学部のまま泥臭い感じで、「あの頃が思春期だったな」という実感もない。サッカー部や野球部の友だちとも仲良くなり、毎日楽しく過ごしていました。

― 大学で経済学部を選んだのはなぜですか。

 高等部では、希望学部を成績のいい順に選べました。当時は商学部が人気でしたが、僕の成績は中の下くらい。商学部はたぶん無理だろうと思い、同じくらい興味のあった経済学部にしました。
 ただ、経済を学んで何がしたいかビジョンがあったわけではありません。本音を言えば、大学でやりたいことはあまりなかった。関西学院がいい学校だったおかげで、のびのびとさせていただきましたが、自分の意思決定がないまま大学まで進んだように思います。

― では、どんなキャンパスライフを?

 大学も高等部の延長線上で、中学部や高等部の友だちとつるんでいました。女性に対してシャイなので、女子学生と積極的に関わることもなかったですね。部活など大きなコミュニティに入るのが苦手で、自分でローラーブレードのサークルを立ち上げました。アイスホッケーの経験者も参加し、5人で活動していました。ところがある時、女子が大勢入ってくることになった。せっかくでしたが、みんなシャイだったので活動自体を止めてしまいました(笑)。
 授業は真面目に出ましたが、同級生は皆頭がよくてついていくのに必死でした。アルバイトも“ゴリゴリ”にはやらなかった。自分は接客に不向きと勝手に思い込み、夏休みに短期のアルバイトをした程度です。
 ですから、キャンパスライフを謳歌する華やかな学生たちを憧れの眼差しで見ていましたね。ずっとモラトリアムな状態で、今考えるともったいない。「The 関学生」という感じではないので、このインタビューにふさわしいのか、よくわかりません。

エントリーシートに書くことがない一大決心をしてお笑いの道へ

― 在学中、NSC(吉本総合芸能学院)に入られましたね。

 就職活動でエントリーシートを書く際、高等部、大学で特に何もやっていないので、長所も特技も書けなかった。先ほど言ったように、関西学院ののびのびとした環境のもと、自分の意志がないまま二十歳を迎えていたんです。
 それに当時は就職氷河期で、終身雇用の崩壊も取り沙汰されていました。もし就職できても主体性のない僕はひとつの企業で勤めあげられないかもしれない。それなら思い切って冒険してみよう。今がチャンスと思いました。
 僕は子どもの頃からお笑いが大好きで、どっぷりテレビにはまっていました。だから芸人になりたかったけど、それはしょせん夢物語。でも、僕のそれまでの時間を意義あるものにするには、芸人に挑戦するしかないと考えたのです。だから4回生を目前に、NSCに願書を出しました。

― ご両親や先生は、反対されなかったのですか。

 NSCは願書を出せばたいがい合格できますが、その時は知らなかったので、受かってから親に言いました。親は「自分の人生だから好きにしたらいい。ただ大学は卒業してくれ」と。僕もそれは当然と思っていたし、その計算もあり4回生で入学、大学卒業時にオーディションを受けてデビューしたいと考えていました。必要な単位は3回生で取っていたし、先生は「何かしているな」と思っていたようです。友だちには卒業時に伝えました。
 お笑いの道に進まず、どこかに勤めてテレビでお笑いを観たときに、「自分がお笑いをやっていたら、どうなっていたんやろう」と思いたくなかった。「トライしても所詮、無理だった」という事実が欲しくてNSCに入ったようなものです。とにかく後悔したくなかった。僕的には、よく決断したと思いますね。

― 芸人としての抱負をうかがいます。

 デビューの頃はコントをしていましたが、今は漫才が基本。これからも劇場にいっぱい立たせていただいて、全国ツアーなどで全国の人に「漫才師」として知られるように頑張りたいですね。漫才師といえば「銀シャリ」と答えてもらえるようになりたい。横山やすし・西川きよしさんや中川家さんのように、世代を超えて笑ってもらえる漫才師を目指します。

とにかく周りに流されてばかりの学生時代でしたが、芸人になると決めたあのときは、僕の一大決心でしたね。

“Mastery for Service”は人生の永遠のテーマです

― 関西学院での経験が今、役立っていることは?

 僕の所属する吉本興業もそうですが、テレビ業界には意外と関西学院出身者が多いんです。ロケで地方に行った時も、関西学院出身というだけで身内意識が生まれ、いきなり近い存在になれる。「関西学院なら人間的にええ奴やろう」って、お互い思うのでしょう。それが他の大学より密な感じがして、ありがたいですね。
 また、中学部・高等部の友だちとは今も付き合いが続いています。学校の先生や新聞記者、銀行のニューヨーク支店で働いている人など、みんな面白い仕事に就いています。

― 関西学院のスクールモットー“Mastery for Service”をどう捉えていますか。

 訳すると「奉仕のための練達」。すごい精神で、ちゃんと理解するのも実現するのもむちゃくちゃ難しい。それができる人になりたいけど、僕はまだまだ未熟です。ただ思うのは、自分本位でなく皆のために考えること、人に優しくすることが、自分に返ってくるという感覚かなと。無償の愛には到達できないので、今はそのレベルでいいのかもしれません。毎日意識しなくても、関西学院といえば“Mastery for Service”という言葉がすぐ浮かぶ。僕にとって、人生の永遠のテーマかもしれません。
 ちなみに、関西学院の先輩かつ芸人でもっとも尊敬するのが、笑い飯の哲夫さんです。後輩の面倒見がよく、人の恩とか関係性を理解されている。“Mastery for Service”を体現されていると感じます。

― 関西学院OBとして、メッセージをお願いします。

 こんな僕から何が言えるのか、と思いますが(笑)。関西学院にいれば、おそらく人として変な方向には進みません。僕の時代をふり返ると、無気力だった子も、先生に反抗していた子も、みんなすごい人になってる。ぼーっとしているように見えても、絶対何かを考えていたし、考えられるだけの余裕が与えられていたんです。
 先生も中学部から、1対1の人間として接し、子ども扱いはしなかった。自由と自主性を大切にする校風のなか、自分で考え答えを出す人間に育てられていく。そんな教育環境が、関西学院の大きな魅力だと思っています。

PROFILE

橋本 直NAO HASHIMOTO

はしもと なお/1980年兵庫県伊丹市生まれ。関西学院中学部・高等部を経て、2003年関西学院大学 経済学部卒業。 2005年に相方の鰻和弘さんと銀シャリを結成。 2010年の第40回NHK上方漫才コンテストで優勝、昨年は「M-1グランプリ2016」で優勝。