関西学院の学び

田淵 結 教授

関西学院と言えば時計台。ではなぜ時計台が関西学院のシンボルなのか

田淵教授は、そんな問いかけから口を開いた。教育学部の教授で、宗教主事でもある田淵結教授の専門は、「旧約聖書学」。学内では、「ヴォーリズ建築」研究者としての一面も広く知られている。
今回は、田淵教授が教鞭を執る「『関西学院』学※1」でもテーマとして取り上げられた「ヴォーリズ建築」について学術的観点からその魅力と本質に迫る。
※1 自校教育の一環として、「関西学院」をテーマにオムニバス形式でさまざまな教授が教鞭を執る講義。

ヴォーリズと関西学院の知られざる物語を求めて。

偶然では、生まれない。
“シンボル”をデザインした建築家ヴォーリズ。

関西学院・西宮上ケ原キャンパスを手掛けたのは、大阪心斎橋の大丸や豊郷町立豊郷小学校の校舎を設計したことで有名な建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。日本の建築史に大きく名を刻み、いまもなお、その優美な建築はファンを魅了する。しかし、ヴォーリズ建築の美を知る人は多いが、ヴォーリズという人の性格や思想は意外にも知られていない。
関西学院のシンボルと言えば、前述の通り時計台を思い浮かべる人が大半だろう。その他、1929年に西宮上ケ原へ移転する前、つまり原田の森キャンパス時代から、主要な校舎の建築はヴォーリズの手によるものが多い。

「時計台はヴォーリズ建築の中心にあります。彼は単に建物を建てるだけでなく、その学校の個性や特徴を非常にうまく象徴できる設計ができた人。関西学院と言われて時計台を思い浮かべるのは、そのようにヴォーリズがデザインしたからで、それだけ関西学院の中にはヴォーリズが染みこんでいるということです。」
学生が時計台をシンボルと感じるのは、偶然ではない。背景となる甲山の高さ、精緻なレイアウト、風、緑、すべてを計算し、象徴となるべく緻密に設計されたのだ。では、なぜヴォーリズは、関西学院へ導かれたのだろうか。

ヴォーリズと共有された、院長ベーツの理念。
学校にふさわしい、あるべき姿を築く。

1889年、ランバスが原田の森に関西学院を創設した当時の学舎は、普通学部と神学部しかなく、まるで小さな塾のようだったという。1910年、カナダメソジスト教会宣教師C.J.L.ベーツが、学院に着任する。彼は、来日の2年後に新設の高等学部部長に就任し、1920年には関西学院第4代院長に就任、さらに1929年には上ケ原への移転を果たし、大学の礎を築き上げる。ベーツが考える学院のあるべき姿、ふさわしい校舎を構想できる人物として、選ばれたのがヴォーリズだったと想像できる。

「本格的な学校にはしっかりした建物が必要ということで、1910年以降の建築は全部ヴォーリズに任せたようです。神戸という貿易都市にあり、貿易が発達した時代背景から彼はビジネススクールを作りました。そこに多くの学生が集まり、学院の体制が整えられていったのです。」

  • 1929年当時の時計台(図書館)
  • 報告誌「MUSTARD–SEED」
  • 原田の森キャンパスの神学館と中央講堂

院長ベーツとヴォーリズの出会い。苦境に立ち向かう、魂の共鳴。

カナダ出身のベーツとアメリカ出身のヴォーリズ。二人はどこで巡り会ったのだろう。
1902年、カナダトロントで、キリスト教を広げるため、世界中へ若き伝道者を送り出すことを目的とした大会が開かれた。実は二人共この大会に参加し、ここで来日を決意したと言う。
「大会に出席していたことはわかっているのですが、そこで本当に出会っていたかどうか。二人の関係について詳しく明らかにするために、現在さまざまな文献をあたっています。」
貴重な文献の一つを見せていただいた。ヴォーリズが寄付をしてくれた支援者に向けて送った「MUSTARD‒SEED」という報告誌をまとめた本である。
「MUSTARD SEED(からし種)はとても小さいですが、成長すると鳥が止まれるほどの葉を伸ばします。イエスのたとえ話として聖書に出てくる一節です。」
ヴォーリズとベーツは、日本にキリスト教を伝道するという思想に共通のものがあった可能性はある。また、キリスト教的立場を明確にしつつビジネスを積極的に評価したことも、二人の特徴的な共通点だ。ベーツは関西学院にビジネススクールを、ヴォーリズも、例えばメンソレータムの全国的な販売などの取り組みを行った。

「ベーツも、ヴォーリズも、当時抱えていた計画や事業で行き詰まったタイミングで出会ったのではないかと思っています。そこに、チャレンジしていくという志の部分で、響き合うものがあった。新しい建築と教育の可能性について語り合ったのでしょう。」
ヴォーリズは、近江八幡で英語教師になった際、キリスト教の宣教活動を行っていたが、仏教色の強い地域であったことから解雇されてしまう。その逆境の中、後の近江兄弟社を立ち上げ、チャレンジする時期を迎えていた。ベーツは明治政府のキリスト教主義学校抑制方針の中で学院を立て直すという志を胸に秘めていたことは想像に難くない。そのような境遇の中、ベーツは教育内容を、ヴォーリズが建物を手掛け、学院の再構築に挑む。理念を共有する二人が、熱く語り合う姿が思い浮かべられる。

まるでエールを贈るように、優しく力強く、その建築は「語る」。

ヴォーリズの設計では、正門、中央芝生の中央を貫く直線がそのまま時計台の頂点と甲山の三角点につながっており、そのため関西学院に訪れる人は、真正面に見える時計台に迎えられる。山に抱かれているとさえ感じるのだ。
「これは旧約の、『私は山に向かって目を上げる』という言葉を表現しているように思われます。キャンパスの中にいるだけで聖書を感じることができる、それが西宮上ケ原キャンパスの本質です。」
時計台にまつわるエピソードは枚挙に暇がない。入試の際に時計台に声をかけられたと思った人は数多い。東京で就職するも行き詰まった際、関西学院を訪れて時計台に向かい、意気込みを叫んだ者さえいるという。

山を背に、雄大な包容力を持つヴォーリズ設計の校舎は、4年間をそこで過ごすと「関西学院にいる」ことを実感できる。かつては、学部を問わず、全ての学生が必ず時計台の前を通って移動していた。集い、憩い、誰かに会える場所だった。田淵教授は続ける。
「キャンパスで多くの時間を過ごし、自分の居場所を見つけてほしい。きっとそこが、あなたにとっての『関西学院』になる。」
時計台を象徴とする関西学院のキャンパス。世界にも類を見ない、美しさを湛えている。これからも、ある者にはエールを、ある者には勇気を、語り続けることだろう。ヴォーリズとべーツが関西学院へ遺したもの。それは建築という姿の、勇気であり希望であると信じている。
心を傾ければ、建築の声がきっと響く。湧き上がる胸の熱さが、その証拠だ。

田淵 結 教授 田淵 結 教育学部 教授 キリスト教学担当 
関西学院理事、宗教総主事