We are Kwansei ! それから。

関西学院の院長を仰せつかって2年目を迎えようとしております。その任期の最初から私は多くの機会で"We are Kwansei !"についてお話をさせていただきました。お子様方、ご家族を通じて関西学院とつながってくださる後援会のみなさまもまた、私たちの大事なお仲間であることを、このことばから実感して頂きたいと願っております。そんななか私自身もまた家族を通じての関西学院とのつながりを改めて発見させられる出来事がありました。

まったく思いがけなく北海道新聞社から私のところに、広報室を通じて取材申し込みがあったのです。なぜ「道新」が?と思いつつお話を伺うと、私の祖母長谷川初音について、ということ。事情がよくわからないままに記者の方にお目にかかると、記事そのものは北海道釧路市の武修館高校の校歌にまつわる連載記事の中で、その作詞を祖母の弟である藤浦洸が行ったそうで、その関連で私に話をということでした。ところが担当記者氏は初音が日本最初の女性牧師であったというところに注目したようです。記事そのものは昨年11月19日の同紙記事をご覧頂くとして、初音が牧師となるなかで関西学院神学部が出てくるのです。彼女は昭和の初期、東京女子高等師範学校(現 お茶の水女子大学)卒業後神戸女学院で国語教師をしておりましたが、やがて伝道者への献身を願い関西学院神学部の聴講生として神学を学びました。その後日本組合教会牧師を志願したのですが、当時のキリスト教会においては女性が牧師となるということは前例がなく、その願いは保留。ようやく昭和10年になってその志は受け入れられ、日本最初の女性牧師となることができたのです。と言いましても、ここで私の家族をご紹介したいのではなく、神戸原田から移転間もない関西学院神学部が、その時代に聴講生とはいえ女子学生を受け入れていた、というところが私も注目させられたのです。Boys Schoolであった関西学院のなか、初音が出席した教室の雰囲気はどのようなものだったのでしょう。関西学院が日本最初の女性牧師誕生に大きな役割を果たしたことは、どこかで記録されるべきでしょう。

校歌『空の翼』のなかに歌われる「輝く自由」のスピリットが、真新しい上ケ原キャンパスにあったのでしょう。そして何より彼女もまたWe are Kwansei !と声をかけあえる仲間のひとりであったのです。このことを通じて関西学院の開かれた歴史を再発見できたことは、私にとって大きなよろこびであり、励ましとなりました。